生物は死があるおかげで進化し存在している

私たちにとって死は避けられない人生のイベントである。いつか必ず訪れる死は恐怖であるが逃れることはできない。では、なぜ私たちは死ななければならないのか。この素朴な質問への答えとして、小林(2021)は、進化が生物を作ったからであり、進化の過程で死ぬことが絶対的に必要だったからだと論じる。死は、進化の結果として生物に備わった機能でもあるということである。それはなぜか。生物の誕生や進化の仕組みから理解してみよう。

 

そもそも生物とはなにか、なぜ誕生したのかを問うならば、それは、化学反応が頻発する原始の地球において、何億年という長い時間のなかで偶然の奇跡が積み重なり、RNAやタンパク質によって自己複製ができる物質のシステムが生まれたことが起源であると小林は解説する。とりわけ、物質的材料をもとに自己編集、自己複製できるRNAが誕生し、その中でもより増えやすい配列や構造をもつRNAが資源を独占し、ますます生き残るような連続反応のスパイラルがRNAを「進化」させ、生物誕生の基礎を作ったと推定されるのだと小林はいうのである。

 

ただ、自己複製の連続反応のスパイラルが起こり続けるためには、常に新しいものを作り出す安定した材料の供給が必要となる。その一番の供給源もRNAであった。つまり、反応性に富む反面、壊れやすいRNAが、作ってはすぐに分解され、分解されたRNAが新しいRNAの材料となった。この「作っては分解して作り変えるリサイクル」が生物の本質でもあると小林はいう。やがてRNAは自らアミノ酸を繋ぎ合わせてタンパク質をつくるリボゾームに変貌した。そして、リボゾームによるタンパク質合成のメカニズムが完備され「細胞」が誕生したのだという。この「たった1つの」細胞が、さらに「作っては分解して作り変えるメカニズム」を途方もなく長い期間繰り返すことで、真核細胞、多細胞生物へと進化しつつ多様性を生み出し、それが多彩な生物の存在につながっていったわけである。

 

つまり、小林の説明によれば、原始の地球において、化学反応によって何かの物質ができた。そこで反応がとまれば単なる塊であるが、それが壊れてまた同じようなものをつくり、さらに同じことを何度も繰り返すことで多様さが生まれた。やがて奇跡が積み重なって自己複製が可能な塊ができるようになり、その中でより効率よく複製できるものが主流となった。その延長線上に生物がある。壊れないと次ができないので、死ぬのは必然である。つまり、死は生命の連続性を支える原動力なのである。地球全体で見ても、全てが常に生まれ変わり、入れ替わっているのだと小林はいう。

 

作っては分解して作り変えるメカニズムをターンオーバー(生まれ変わり)と呼ぶが、これは、新しく生まれることとともに、死ぬことも意味している。つまり、生まれることと死ぬことが、新しい生命を育み地球の美しさを支えているのだと小林はいう。別の言い方をすれば、より効率的に増えるものが生き残る中で、死んだものが材料を提供するというスパイラルによって生物が誕生し、これまで生きながらえてきたといえる。死んだ生物が分解され、回り回って新しい生物の材料となる。植物や動物など他の生物を食べるという行為もその1つである。だから、死ぬものがなければ生まれることもできない。このようにして生まれた多様な生き物が、常に新しいものと入れ替わるターンオーバーが現在の地球を支えている。これを長い目でいうならば、進化ということができると小林は示唆する。

 

原始の細胞は、徐々に存在領域を広げていき、その中で効率的に増えるものが「選択」的に生き残り、また「変化」が起こり、いろんな細胞ができ、さらにその中で効率よく増えるものが生き残る。この「変化と選択」が繰り返された。変化と選択の繰り返しの結果、多様な細胞(生物)ができた。このように、新しい生物が生まれることと古い生物が死ぬことが起こって、新しい種ができる進化が加速する。小林によれば、変化(変異)と選択による生き物の多様化の本質を支えたのは、生き物が大量に死んで消えてなくなる「絶滅」である。大量絶滅が起こることで、そのような環境でも生き残ることができた生物を中心に新しい生物相が生まれ、より新しい地球環境に適応した新種が誕生し、さらに進化発展していったからである。わかりやすくいえば、恐竜が滅びてくれたおかげで、哺乳類が拡大し、人類が生まれたと言えるのである。

 

上記のような説明から言えることとして、小林は、生き物を「進化が作ったもの」と捉えることが大切で、生命の誕生や多様性の獲得に、個体の死や種の絶滅といった「死」がいかに重要だったかを理解することが重要だという。死んでは生まれるという「作っては分解して作り変えるリサイクル」もしくは「ターンオーバー」が少しづつ変化を生み出し、多様性を生み出すからこそ、そこから環境に適応できるものが選ばれて生きながらえることができる。選ばれることなく死んでいくものは生きながらえるものの材料となる。つまり、死も進化が作った生物の仕組みの一部なのである。多様な種のプールがあって、それらのほとんどが絶滅、つまり死んでくれたおかげで、たまたま生き残った「生き残り」が進化という形で残っているのが現在生存している多様な生物だということになる。

 

生物の個体レベルでみても、老化と死という現象が生命の維持において重要な役割を果たしていることがわかる。例えば、細胞の老化は、細胞が増殖を繰り返す中で異常な細胞(癌など)に変化することを防ぐ働きを持っていると小林は説明する。つまり、何度か分裂した細胞をわざと老化させて排除し、新しい細胞と入れ替えるという働きによって癌化のリスクを抑えているというのである。とりわけ人間のように老化によって死にいたるような存在にとっては、老化も進化によって獲得された生物の機能だといえる。このようなプロセスにも回数に限界があることで異常な細胞や老化した細胞を排出する機能が弱まり、個体全体としての老化が死を招くということは周知のことである。

 

これまでの説明で、生と死、変化と選択の結果として、ヒトもこの地球に登場することができたことが明らかである。死があるおかげで生物が進化し、人類も存在している。死は、長い生命の歴史から考えると、生きている、存在していることの「原因」であり、新たな変化の「始まり」なのである。生き物にとって死とは、進化、つまり「変化」と「選択」を実現するためにある。「死ぬ」ことで生物は誕生し、進化し、生き残ってくることができたのである。

 

生き物が生まれてくるのは偶然だが、死ぬのは必然であると小林はいう。その流れの中で偶然にして生まれてきた私たちは、その奇跡的な命を次の世代へとつなぐために死ぬのだという。命のたすきを次に委ねて「利他的に死ぬ」のである。生きている間に子孫を残したか否かは関係ない。地球全体で見れば、すべての生物は、生と死が繰り返されて進化し続けてきたのだから、私たちは次の世代のために死ななければならないのだというのである。

文献

小林武彦 2021「生物はなぜ死ぬのか」(講談社現代新書)