情報論的生命観とは何か

生命とは何かという深遠な問いに関して、私たちの多くは、非常に素朴な見方をしがちである。それは、生命をパーツの集合体として機械論的にとらえるものである。この考え方が浸透し、臓器などの「生命部品」は交換可能な一種のコモディティと考えられるようになったと福岡(2017)は指摘する。このような考え方の出発点はデカルトだと福岡はいう。デカルトは、すべての生命部品の仕組みは機械のアナロジーとして理解でき、その運動は力学によって数学的に説明できるとしたと福岡はいう。その結果、動物の生体解剖が進み、身体の仕組みを記述することに邁進するようになったというのである。

 

しかし、上記のような素朴かつ間違った生命理解を修正するには、ミクロレベルの生命現象で何が起こっているのかを解明しようとする分子生物学の発展を待たねばならなかった。とりわけ、シェーンハイマーという科学者によって、生命現象が絶え間ない分子の交換の上に成り立っていること、つまり動的な分子の平衡状態のうえに生物が存在しうることが、明らかにされたのだと福岡は解説する。福岡はそこから「動的平衡論」を発展させたわけだが、彼はこの考え方に依拠しつつも、情報学的な観点からの生命観についても説明している。

 

情報論的な生命観の核となる考え方は、生命を自己複製可能かつ可変的でサステナブル(永続的)なシステムとして捉える際に、生命体を構成するタンパク質の構造を規定する「情報」がもっとも本質的な役割を果たしているという点である。タンパク質とはアミノ酸がいくつも連結した高分子化合物であり、生態を構成するアミノ酸は20種あり、その組み合わせが「情報」となる。その情報に基づいて生体の維持に必要なタンパク質を常に合成しつづけている動的なプロセスこそが、生命の本質を捉えているというわけである。

 

このような情報論的生命観を分かりやすく理解するための例として、福岡は、食べたものを消化するプロセスに着目する。素朴な考え方しかできない素人であれば、私たちの身体にはタンパク質が欠かせないから、食べ物に含まれているタンパク質を体内に取り込んで、不足するタンパク質を補うというような考え方をしがちである。しかしそれは間違った考え方である。食べ物は生物(生命)であったものの一部であり、私たちは端的にいえば他の生物を食べている。であるから、食べ物に含まれるタンパク質には、元の生命体を構成していたときの情報がぎっしりと書き込まれていると福岡は説明する。

 

もし、他の生物のタンパク質がそのまま私たちの身体の内部に取り込まれれば、他者の情報と私たちの情報が衝突し、干渉しあい、アレルギーや炎症や拒絶反応などの様々なトラブルが生じる。これらの反応はすべて生体情報同士のぶつかり合いである。では、私たちはどうやって体内のタンパク質を得ているのか。それは、消化の仕組みをミクロな分子生物学の視点から理解すれば分かってくる。実際に行われているのは、食べたものの中にあるタンパク質が、消化酵素の働きによって、その構成単位であるアミノ酸にまで分解されてから体内に吸収されるということである。

 

福岡の例えでは、タンパク質が「文章=情報」だとすると、アミノ酸は「文字」である。文字によって情報は生まれるが、文字自体は情報ではない。つまり、生命体は、口に入れた食べ物をいったん粉々に分解することによって、そこに内包されていた他者の情報(タンパク質=文章)を解体する(アミノ酸=文字)ということなのである。食べたものが消化され、アミノ酸として体内に吸収された瞬間には、食べ物に含まれていた生体情報は消失し、ばらばらになった文字だけになる。そして、体内で、これらの文字を組み合わせることによって自分自身の情報を作り出すことが行われる。これが、生体内でのタンパク質の合成である。

 

以上の説明をまとめると、私たち生物は、口に入れた食べ物に含まれるタンパク質をそのまま自分の体内のタンパク質として加えるのではなく、いったんアミノ酸のレベルにまで分解してから、体内で吸収したあとにそのアミノ酸を使って新たなタンパク質として合成している。情報論的生命観を理解すれば、なぜ私たちがそんな面倒くさいことをしているのかが理解できる。自分の生体に必要なタンパク質を作る情報は自分が維持している。そこに他者の生体情報が入り込むと衝突してしまう。だから、生体情報のない文字レベルにまで粉々にされたアミノ酸を取り込んでから、それを材料として、自分自身が保持している情報に基づいて自分の体内に必要なタンパク質を合成しているということである。

 

福岡によれば、私たちの身体は数か月で全部入れ替わってしまうほど、分子レベルでは高速に、体に分子を取り込んでは別のものを体外に排出するというような生体分子の入れ替えを行っている。そのプロセスを維持するために、毎日食物を食べる必要があるわけだ。それを理解できれば、生物をミクロな部品からなるプラモデルのように捉える機械論的な考え方がいかにお粗末な考え方であるかが分かるのである。

文献

福岡伸一 2017「新版 動的平衡: 生命はなぜそこに宿るのか」(小学館新書)