時間は流れない、だが生命の中には時間の流れがある

橋元(2020)は、アインシュタイン相対性理論など現代物理学の知見から言えば、空間と時間は幻想だとし、かつ、時間は過去から現在、未来へと流れるものではないという。まず、相対性理論では、時間と空間は時空を構成する同一尺度(同じ単位)で捉える。ニュートン力学であれば、空間と時間は絶対的でありかつ本質的に異なるので、物質の器として固定されたユークリッド空間上を、時間とともに物体が移動すると考えることになる。しかし、時間と空間が同列に扱われる相対性理論では、時間は空間と同じものになり、モノの動きは時空上では絵として固定されてしまう。例えば、時空(ミンコフスキー空間)では「速度=距離÷時間」が意味がなくなってしまい、速度は動きを表すものではなく、(距離と時間は同じものであるため、同じ単位のものを除していることになるので)単なる数値になってしまうのである。

 

また、相対性理論では、観測事実でも確認されているとおり、時間が遅れ、空間が縮む。時間も空間も相対的であって絶対的なものではない。さらにいえば、この宇宙に客観的かつ唯一絶対な時空は存在せず、それぞれの観測者がそれぞれの時空を持っている。観測者の数だけ時空が存在する。言い換えれば、時間と空間は主観的であり幻想である。物質と時空の関係でいえば、不確定原理が示すとおり、物質(中身)と時空(器)を同時に正確に決めることができず、混然一体となっている。よって、物質が消滅して質量のない光のようなものばかりになれば、時空も消滅するのである。

 

つまり、相対性理論によれば、絶対時間とともに物体が絶対空間上を移動という発想はナンセンスであり、実際には、物体は移動せず、幻想としての時空を構成する時間軸と空間軸のそれぞれの点に対応するかたちで、それぞれの物体の位置が絵の配列として固定されているに過ぎない。つまり物体は、時間軸と空間軸からなる時空では配列という静止した状態で存在しているにすぎない。ではなぜこれを動いている、別の言い方をすれば、時間が流れている(よって動く)と感じられるのか。橋元によれば、これを理解するのに有用なのが「パラパラ漫画」の例えである。パラパラ漫画も、1コマ1コマ、静止画像があるだけで、画像は決して動かない。しかし、パラパラめくれば動いて見える。映画も同じである。時空上の物体も同じである。それぞれの時間軸上に静止した物体があるにすぎないのだが、生きている私たちがそれを知覚する際、記憶の働きによって動いて見える(すなわち時間が流れる)に過ぎないというわけである。つまり、時間が流れるように知覚されるのは、生命体が持つ記憶という働きのなせる業なのではないかという視点が出てくる。

 

現代物理学の視点から言えば、物理的な時間は流れないということに落ち着きそうである。だが、話はここで終わらない。その鍵となるのが、時間に矢がある(過去から現在、未来へという方向性があり、不可逆である)とする熱力学や散逸構造理論の発展である。エントロピーを用いた説明を行うこれらの理論からは、無数の分子の集団においては不可逆過程が観察され、時間軸に一方向しかないように見える。ただ、ここで押さえておくべきポイントは、これらの現象は、素粒子や分子が無数に存在するマクロの現象から導き出される見解にすぎないということである。つまり、時間の方向性や不可逆過程の話は、素粒子や分子が集まった全体を想定してのみ可能になる話なので、それらを構成する単一の素粒子や分子のレベルで見るならば、やはり時間の方向性も、時間の流れもないと言わざるを得ない。

 

素粒子や分子単体から見たら時間は流れないのに、これらが無数に集まったマクロの現象においては、時間に方向性がある(多くの現象が不可逆である)ように考えられるという見解は、時間の流れというのは実は生命体の内部にあるのだというロジックにつながる糸口を提供する。橋元によれば、生命体とは、エントロピー増大の法則に抗う「生きようとする意志」をもった分子機械であると考えられる。つまり、生命体というシステムは素粒子や分子が集まったマクロな物理現象として捉えることができ、そのようなシステムが、同じくマクロな物理法則(エントロピー増大の法則)に抵抗するかたちで存在していると捉えるならば、素粒子や分子単一ではありえなかった「時間の方向性」が立ち現れてくる。

 

橋元は、 生きる意志を持つということは、時間の流れを創ることと同義であるという仮説を提示する。マクロの世界で初めて登場する時間の方向性(エントロピー増大の法則)は、物理学的には静止した時間の矢にすぎないが、この時間の矢に乗って、動きすなわち時間の流れを生み出すのは生きた細胞の内部で生まれる情報のサイクルではないだろうかというのである。例えば、1つの細胞の内部において、外界の情報を処理する情報伝達のサイクルが完成したとき、細胞は記憶を持ち、そのことによりモノの動きを感知し、やがて外界の動きから時間の流れを主観的に自覚するようになり、主体としての「自分」の内部時間の流れも感じるようになる。そうすることで生き延びていく能力を獲得したというのである。

 

 エントロピー増大の向きとは、秩序が壊れていく向きである。壊れる秩序に逆らって、その秩序を保とうとするのが生命である。いわば、生命は逆境に打ち勝つ意志である。そのような意志すなわち生命体内部から、打ち勝つ対象としての外界から情報を獲得して処理する努力、過程において、不可逆過程の認識のあり方としての「時間の流れ」が生み出されるというわけである。

文献

橋元淳一郎 2020「空間は実在するか」 (インターナショナル新書)