荒木(2023)は、コミュニケーションの本質は「伝え方」よりも「言語化」だという。仕事の評価は「どう言うか」より「何を言うか」で決まると喝破する。本来、「何を言うか」という「言う内容」そのものが人の心を打つのであって、内容の薄い話にいくら「どう言うか」の工夫を施しても、人はそれが表面的であることを敏感に見破ってしまうからだというわけである。ところが、「言いたいことはあるんだけど、うまく言葉にできない」という人は多い。これは、普段感じていることや思っていることがあたまのなかできちんと言語化されていないことを意味しており、言語化力が弱い状態である。言語化力とは、「モヤモヤ(頭の中にある曖昧なイメージや感覚、概念)を言葉にする力」だと荒木はいう。
小暮(2023)も、「自分の頭の中にあるものを、言葉に置き換えて、誰かに理解してもらうこと」を言語化といい、言語化がすべてを解決してくれると主張する。小暮によれば、自分が伝えたいものは何か、何を伝えたら相手に響くのか、その伝える内容そのものを定めることから言語化は始まっており、言語化は「どう表現するか」ではなく「何を表現するか」である。言語化のゴールは、自分の頭の中に描いているものと同じものを描けるような言葉にすることである。では「言語化力」を高めるにはどうすればよいのだろうか。
荒木は、頭に思いついたことをA4一枚の「メモ」に次々と書いていくだけというだけのシンプルなトレーニングを推奨する。荒木によれば、メモは「思考を言語化するためのツール」だからである。人は、話したり頭の中だけで考えたりしているときは、多くのことを曖昧なままにして言葉にすることから逃げてしまう。一方、書くことは、この曖昧な感覚や概念を「言葉にしなければならない」ことを意味する。メモを書くことを習慣化することで、自らを強制的に「言語化から逃げられない状況」に置き、曖昧なイメージを次々と「明確な言葉」に変えていく。このように普段から明確な言葉を増やし「言葉の解像度」を高めていくことで、いざ必要なときに必要な言葉が出てくるようになると荒木は主張する。
普段、人々は無意識的に多くのことを感じている。しかし、それに気づいていない。何も感じていないのではなく、その解像度が低すぎて自分でも気づいていないのである。メモの習慣化によって、無意識に感じていることを言語化することで解像度を上げる訓練を積み重ねると、無意識の言語化のストックがたくさんでき、「瞬時に言語化できる」力が身につくと荒木はいう。それは結果的に本人の「独自の視点」に溢れた「深い言葉」をたくさんストックすることにもなるというのである。