アート思考とは何か

長谷川(2023)は、これまでにない革新性をもち、人々のライフスタイルや文化を変えるものをつくるイノベーションに必要なのが「アート思考」だと主張する。長谷川によれば、アート思考とは「自らの関心・興味に基づき、常識を覆す革新的なコンセプトを創出する思考」であり、大きな特徴としては「自分起点で考える」ことと「思考を飛躍させる」というものがある。このアート思考は、論理的思考やデザイン思考とは異なる。論理的思考は、物事を体系的に整理したり、道理にそって道筋を立てて考えることであり、デザイン思考は、商品やサービスを使うユーザーの視点からビジネス上の課題を見つけ、解決策を考えることである。両者とも「自分起点で考える」ことと「思考を飛躍させる」といった特徴とは異なることが分かる。ただし、アート思考、論理的思考、デザイン思考の3つは、革新的なコンセプトを製品化していく過程では補い合うように使われるという。

 

アート思考は、現代アートのアーティストが作品を制作する際に発揮する思考だと長谷川はいう。そもそも現代アートの特徴は「アート=目で見て美しいもの」という根本的な常識を打ち破り、アートを「思考」の領域に移したものである。例えば、アートで長い期間続いていた既成概念に疑問を呈し、「そもそも芸術とは何か」という根本的な問いを投げかけるようなものであり、現代社会の情勢や問題を反映し、美術史や社会への批評性を感じさせる作品であったりする。現代アーティストが経験することの代表例が「興味をもった事象に関して、丹念にリサーチし考えている間に思考が飛躍する瞬間がある」というものがあると長谷川は指摘する。これはビジネスパーソンが新製品や新サービスを考えるときの過程と似ているという。一般的なビジネスパーソンがこのような現代アーティストから学べる力は「思考の飛躍」「突破力」「共感力」だという。

 

まず「思考の飛躍」であるが、これは、自分が興味を持つ事象について丹念にリサーチをしていると、リサーチで得られる新しい情報による刺激を受け、それまでの自分の経験と組み合わせることで、ひらめきやセレンディピティによる「新結合」が起きていると思われると長谷川は推論する。リサーチの内容と自分自身の経験、五感で感じ取ったことを融合して初めて論理的思考を超えた革新的なコンセプトを考え出すことができるというのである。次に「突破力」であるが、現代アーティストは作品を制作する中で多くのハードルが出てくるが、これを突破する力を指している。例えば社内の新規事業の場合は「この企画は絶対に実現させたい」という強い意志と情熱をもって社内を説得していくような駆動力である。そして3つめの「共感力」は、驚きや気づきのあるコンセプトを生み出すことで共感を呼ぶ力である。消費者が商品やサービスを選ぶ際には、その機能や質だけでなく、開発者が語るストーリーや、提供する企業の社会活動に共感できるかが重要な要素となっていることと関連している。

 

では一般的なビジネスパーソンはどうすれば上記で説明したアート思考を身に着けることができるのだろうか。この点について長谷川は、アーティストが作品を制作する過程を追体験することで自分の興味・関心から始めてイノベーションにつながる革新的なコンセプトを創ることを目指すための5つのステップを紹介している。第1のステップは、現代アートの作品を鑑賞し、アーティストのコンセプトを探ることである。第2のステップは、興味を持った社会事象についてリサーチして題材を集めることである。本当に興味のある事象、例えば、面白いとか不思議だとか思うこと、これはおかしいと思うことなど、を選ぶとよいと長谷川は助言する。当たり前と思っていることでも、なぜそうなっているのかと一度見直してみたり、数字やサイエンス、経済のみならず、関連する歴史、哲学、心理学、文学などにも範囲を広げ、いろいろな観点から題材を集めて思考の種にすることも重要だという。現場でヒアリングすることで生の情報を集めたり、公文書でネットで出ていない情報を探ることも有用だという。

 

第3のステップは、集めた題材から常識を覆すコンセプトを創ることである。まず、リサーチを繰り返し、自分でも実際に体験する中で、今まで知らなかったこと、気づかなかったこと、びっくりしたことなどの発見を記録しておき、いつでも使えるようにする。そして、発見したことについて抽象化と具体化を繰り返し、本質を探ってみる。抽象度を高くしようとする際には、要約する、視座を変えて考える、他の事象との共通点を探すなどが有用だという。そのうえで、思考を飛躍させ、オリジナルで革新的なコンセプトにする。オリジナルで革新的なコンセプトは、人々の共感を呼んだり、議論を引き起こすといった効果があると長谷川はいう。第4のステップは、作品を制作することでコンセプトを可視化することである。このプロセスを通して自分でもう一度コンセプトを考えることできるし、周りの人々に作品を見てもらうことで鑑賞者にコンセプトについて考えてもらうことができ、議論を誘発できる。作品とコンセプトについて他の人の意見を聞くのがよいという。長谷川は異論反論にも耳を傾けることを推奨する。

 

そして第5のステップは、革新的なコンセプトから事業プランを構想することである。その際に、革新的なものになっているかどうか、そのコンセプトが実現したら、社会が変わるような大きな力を持っているかを問うてみることだと長谷川はいう。すぐに実現しなくてもよいので、なるべく荒唐無稽なことを考えてみたり、実現した際には、ワクワクする社会になるようなプランを考えるのがよいともいう。

文献

長谷川一英 2023「イノベーション創出を実現する「アート思考」の技術」同文館出版