世界システム論で紐解く現代史

川北(2016)によれば、世界システム論とは、近代世界を1つの巨大な生き物のように考え、近代の世界史をそうした有機体の展開過程としてとらえる見方である。つまり、世界の歴史について、ヨーロッパ中心史観を否定し、少なくとも16世紀以降は、ヨーロッパと非ヨーロッパ世界が一体となって、相互に複雑に影響しあいながら展開してきたと考えるわけである。とはいえ、現在に至る世界システムがヨーロッパ的であることを川北は否定しない。決して、イスラムを中心とした世界システムとか、東南アジアを中心とした世界システムが地球を一体化させたわけではないのである。つまり、1500年ごろ以降の歴史において、ヨーロッパ的・資本主義的な世界システムが地球を覆うようになり、地球上に存在したさまざまな「世界」が、ヨーロッパを中心とする「近代世界システム」に吸収されたいったのだと川北はいう。その要因としては、ヨーロッパ発のこのシステムには「飽くなき成長・拡大」を追求する内的動機(成長パラノイア)が内蔵されていたことにあるという。

 

世界システム論の視点から世界史を理解するうえで重要なのは、歴史は「国」を」単位として動くのではないということだと川北は指摘する。近代の世界は1つのまとまったシステム(構造体)を成しているので、すべての国の動向は「一体としての世界」つまり世界システムの動きの一部でしかないのである。例えば、「イギリスは工業化されたが、インドされなかった」のではなく、「イギリスが工業化したために、その影響を受けたインドが容易に工業化できなくなった」と理解するのである。今日の南北問題にしても、北の国々が工業化され、開発される過程そのものにおいて、南の諸国がその食糧・原材料生産地として猛烈に開発された結果、経済や社会のあり方が歪んんでしまったことから生じたのだというわけである。南と北は、単一の世界システムすなわち世界的な分業体制をなし、それぞれの生産物を大規模の交換することで初めて世界経済が成り立つことになったことを意味しているのである。

 

川北によれば、近代の世界システムは、大航海時代の後半に、西ヨーロッパ諸国を「中核」とし、ラテンアメリカや東ヨーロッパを「周辺」として成立した。その後、この巨大生物は、十九世紀のように激しく成長・拡大する時期と、十七世紀のように収縮気味の時期とを繰り返しつつ、地球上のあらゆる地域を呑み込んでいった。今日では地球上にこのシステムに呑み込まれていない地域はほとんどないとさえいう。世界システムの「中核」とは、この世界的な規模での分業体制から多くの余剰を吸収できる地域であり、工業生産を中心とする地域でもある。「周辺」は、食糧や原材料の生産に特化させられ、中核に従属させられる地域のことである。西ヨーロッパがこの世界システムの中核として、国家体制が強化されていったのに対し、エルベ川以東の東ヨーロッパとラテンアメリカは、中核に従属する周辺として、国家的な機能が弱められ、植民地化されることさえあった。世界システムは、その地域間分業の作用を通じて、中核では国家機能を強化しつつ、周辺では国家を溶融っせる効果をもったのだと川北はいう。

 

ではなぜ、かつては世界の辺境にあった西ヨーロッパが近代世界システムの中核となったのか。それは、14・15世紀ごろにヨーロッパ全域で人口の激減を伴う「封建制の危機」があり、この危機への対応の中から近代の世界システムが成立したというのが定説だと川北はいう。ヨーロッパにおいて人口が減少し生産が停滞する中で、領主と農民の取り分をめぐる闘争が高まったため、この危機を脱する方法として分け合うもとのパイを大きくする、すなわち「大航海時代」を契機として北西ヨーロッパの枠をはるかに越えた拡大が志向されたというのである。ヨーロッパ各地の領主階級は国王に権力を集中して農民からの抵抗に対応する必要性に迫られ、その結果、国家が発展したわけだが、それゆえ、ヨーロッパ全体としては政治的統合を欠いた経済システムであった。つまり、ヨーロッパが「国民国家の寄せ集め」となったことが、各国が競って武器や経済の開発を進めることとなり、それが世界システムの発展を促進したと川北はいうのである。

 

最初に大航海時代をリードしたのがポルトガルとスペインである。間違いなく両国は、世界の一体化、つまり大西洋や北海をまたぐ大規模な分業体制を意味する近代世界システムの成立をもたらしたと川北はいう。大航海時代において、近代世界システムの中核地域である西ヨーロッパは、東ヨーロッパやラテンアメリカなど「周辺部」から得られる経済的余剰を享受するようになった。そして、スペインやポルトガルに代わり、オランダ、イギリス、フランスも体外進出を果たすようになる。世界システムの歴史では、ときに、超大国が現れ、中核地域においてさえ、他の諸国を圧倒する場面が生じるが、このような国を「ヘゲモニー(覇権)国家」という。世界史では、対外進出を通して成功をおさめたオランダがヘゲモニー国家となり、その後ヘゲモニー国家はイギリスへ、そしてアメリカへと移ることになる。とりわけイギリスがヘゲモニー国家となり、植民地を拡大し、商業革命を成立させると、イギリスに様々なものが集中するようになった。それがイギリス発の産業革命につながったことを川北は示唆する。

 

中核部が工業化の局面に入り、世界システムが全地球を覆うようになると、世界システムのレベルで無限の労働供給が成立しなくなってきたと川北は説明する。その結果、周辺地域間で労働力を移動させ、より適切な配置に再編成すること以外に方法がなくなった。それが、アイルランドを含むイギリスからのアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド移民、東ヨーロッパ、南ヨーロッパ諸国からアメリカへの移民、日本からハワイ、南アメリカへの移民、アフリカ大陸内の黒人労働者の移動など、大量移民を通した周辺労働力の再編成の動きにつながったという。他方、中核の高い賃金と生活水準を求めた周辺から中核への移動も絶えず発生したともいう。同じ中核国間においても、よりヘゲモニーに近い国への労働力の移動が絶えず起こり、世界のメトロといえる都市には大きなスラムが登場した。周辺諸国においても、首都への異様な人口集中がみられるようになった。つまり、近代世界システムは、その作用によって、中核、周辺それぞれの地域の中心としに人間を集中させたのだと川北はいうのである。

 

19世紀後半以降、大英帝国を成功させたイギリスは衰退し始める。中核内では、イギリスに変わってドイツとアメリカが新たなヘゲモニー国家を目指すことになった。同時に、この頃すでに、近代世界システムが地球のほぼ全域を覆い、経済余剰を獲得するための新たな周辺を開拓する余地がなくなっていた。そして、アフリカ分割を契機に、世界が帝国主義と呼ばれる領土争奪戦に突入し、二度の世界大戦を経験した。これは、ドイツとアメリカによる新たなヘゲモニー国家の地位をめぐる争いでもあり、両方とも勝利したアメリカが新たなヘゲモニーを確立したと川北は解説する。社会主義国となったソ連や、その後に成立した多くの社会主義政権も、基本主義的世界システムの中にある「反システム的な政体」であるにすぎず、近代世界システムの外に身を置き続けることはできなかったと川北は指摘する。ただ、アメリカのヘゲモニーも長くは続かず、1971年のドル・ショック以降、ヘゲモニーを次第に消失しつつある。

 

地球上に新たな「周辺」となるべき未開拓の土地はなくなった。ただ、川北によれば、近代世界システムの本質の多くは、今日に至るまで維持されている。中核が周辺に資源を求め、工業製品を供給することも、その貿易が不均等交換で中核に有利になっていることも変わりない。しかし、低開発国の典型とされた中国はいまや世界経済を動かす存在となっており、アメリカやアフリカの諸国でも、ブラジルのように単なる低開発国とはいえなくなっている国が少なくないと川北は指摘する。インドは、国内に大きな格差を抱えながらも、情報技術などを軸に新たな経済発展を遂げており、「工業化された国こそが中核である」というかつての近代世界システムの通則が微妙に揺らいでいることも指摘する。つまり、生産に基礎をおかず、金融と情報を基礎とする地域が世界システムの中核の一部となるとき、世界システムのあり方は変わらざるを得なくなるだろうという見解を持って川北は解説を締めくくっている。

文献

川北稔 2016「世界システム論講義: ヨーロッパと近代世界」(ちくま学芸文庫)

時間と空間の現象学的理解

世界の根源的な存在とは何かと問われれば、まず思い浮かぶのが、時間と空間である。時間と空間が存在しているということは、世界が世界であることのもっとも基本的な要素であり、時間と空間なくしては世界はありえないし、時間と空間は人間が存在するしないにかかわらず存在しているものだと直感的には思える。ただし、この時間と空間の「正体」は何かといえば、答えはそう簡単ではない。19世紀までは、時間は過去・現在・未来へと直線的に進む絶対的なもので、空間はユークリッド幾何学で扱う、こちらも絶対不変の空間概念だと人々は信じていただろう。しかし、その後の相対性理論量子力学の発展は、観測から得られるデータと数学的操作を用いて、時間と空間の根源が私たちが直感的にイメージするものと全くことなるものでありうるという示唆を導いている。そうでなければ宇宙が開始したビッグバンなどもあり得ない。

 

しかし、よく考えてみると、なぜ時間と空間が世界の根源的な存在だと言えるのかは定かでない。そもそも、私たちが信じているように、時間とか空間は普遍的な存在だということをどうやって確かめることができるのか。現代科学が観測と数学で解き明かそうとする時間や空間の正体には、人間以外の「神の目」から時間や空間を眺めていることが「暗黙の前提」となっている。つまり、人間が存在如何に関わらず変わらない正体もしくは真実を探ろうとしているのである。しかし、そのような神の目がそもそもあるのかどうか、正しいのかどうか誰も分からない。では、どのようにして、この世界の根源的な存在、とりわけ時間や空間の存在のあり方を理解すればよいのか。そこで1つの哲学的視点として利用可能なのが、フッサールが提唱した「現象学」である。谷(2022)による現象学の解説をガイドラインとしつつ、アプリオリとアポステオリという概念を、現象学がどう考えるかを見ながら考えてみよう。

 

カント以前の哲学では、(主観的な)認識は、(客観的な)対象に従うと考えられていた。それに対し、カントの「コペルニクス的転回」では、(客観的な)対象のほうが、(主観的な)認識に従うとみなした。つまり、(客観的な)対象の認識を可能にする条件は、じつは(主観的な)認識装置に含まれている条件とみなす。「対象を認識する」という意味での認識のほかに、「対象を認識する(主観的な)認識装置そのものを認識する」という意味での認識を、カントは「超越論的」と呼び、その超越論的哲学で、主観性にアプリオリに備わった認識装置を探ることで認識を可能にするアプリオリな諸条件を求め、結果として、「感性(直観)の形式」「悟性のカテゴリー」「超越論的統覚の自我」を見出した。

 

アプリオリが、いつでもどこでも妥当する普遍性を意味している一方、アポステオリとは、ある時やある場所でのみ妥当することを意味する。よって、普遍的なアプリオリがその都度的なアポステオリを基礎付けることはできても、普遍的でないアポステオリが普遍的なアプリオリを基礎付けることはできない。しかし、そうなると、私たち人間がどうやってアプリオリなものを認識することができるのだろうか?何かを認識するには、アポステオリな経験に依存せざるを得ないのではないだろうか。例えば、先に疑問に挙げたように、私たちは時間と空間を人間の存在如何に関わらず存在する根源的なもの、すなわちアプリオリな存在だと考えているが、そのことを証明する手立てがないのではないだろうか。そうなると、アプリオリだと思われるものであっても、アポステオリな経験からしか認識できないのではないだろうか。

 

それに対してフッサールは、経験がすべてアポステオリなのではなく、アプリオリも経験から抽出されると考えた。であるから、アプリオリだと考えられる時間や空間の正体も、現象学的還元によって人間の経験から得られるはずだと考えたのである。とりわけ晩年のフッサールは、人間による直接経験=志向的経験のうち、受動的な志向性にすら先立つことで世界の「存在」を与える次元である「原受動性」において、時間と空間の原構造があらかじめ生じていることを発見したと谷はいう。時間や空間は、私たちが実際に生活している精神世界において経験される。それはその都度的であって普遍性はないように思われるかもしれない。しかし、その経験の中に、時間や空間の原構造、すなわち根源的な本質が含まれているのであり、それを抽出することで、その派生形としての時間や空間の(客観的な)概念を自然科学などで利用することになる。よって、人間を離れた物理的世界において時間や空間が基礎づけられ、それに基づいて私たちが経験する時間や空間があるのではなく、人間の精神世界から抽出される時間や空間が、自然科学での時間や空間を基礎づけているといえる。

 

では、そのような時間と空間の本質を示す原構造とは何だろうか。まず時間であるが、超越的還元を遂行すると、「現在」の直接経験=志向的体験しか見出されず、過去や未来が与えられていないことが分かる。よって、私たちは、直接経験の現在から出発して、過去や未来をもった時間(客観的時間)を能動的に構成していく。しかも、原受動性としての時間は、一瞬で流れ去ってしまう(消え去ってしまう)ものではなく、それ自身が幅を持って立ちとどまってくれるという。現在という現出のうち流れ去る予定のものが保持され(把持的現出)、次に現れるものが期待される(予持的現出)、この2つは現在に含まれている。これは、現在には、原印象的現出、把持的現出、予持的現出の3つが属し、それゆえ「幅」が生じていることを意味しており、原初の時間は、受動的志向性にすら先立って、幅を持ちつつ生じている。フッサールはこれを「生き生きとした現在」の原構造だとするのである。あるいは「流れつつ立ち止まる現在」である。

 

現在という時間では、新たな現出が登場するたびに、それ以前の現出は、原印象からより遠い把持の方向に向かって押しやられていく。そして、現在の幅をはみ出してしまう。この時私たちは、はみ出したものを「想起」することができ、想起によって初めて「過去」が形成される。想起という活動が、想起しようとする能動性を必要とするのに対して、把持や予持は、そうしようとする意志がなくても生じるので、現在の幅は受動的に構成されると言える。一方、過去や時間全体は、能動的に構成される。私たちは、現在からはみ出してしまったものを能動的に想起することを繰り返すことで、一本の直線としての「時間」が、「過去」の方向に伸びていくし、同じようなプロセスを逆方向に行えば、時間が「未来」の方向にも伸びていく。その結果、過去から現在を経由して未来へと流れていく客観的時間が構成されるというわけである。もちろん、想起には限界があるので、例えば、想起不可能なほどの遠い過去は、想起可能な過去からの一種の理念化を遂行することによって自然科学的な意味での時間が構築される。

 

空間についても、客観的空間は、直接経験=志向的体験における空間から派生的に構成されると谷はいう。直接経験=志向的体験のもとでは、時間が点的でないのと同じで、空間も一定の広がりをもっている。それは、私が動くという運動感覚と共に現出するものである。運動感覚と共に生じる直接経験=志向的体験の光景はダイナミックである。このように、時間に対してとった現象学的方法と同じく、客観的空間の「起源」を、直接経験によって求めることでフッサールが見出したのは、根源的な意味での「大地」である。直接経験においてまず与えられる大地は、動かない。別の言い方をすれば、「動く」ということが言えるための条件として、動かない大地がある。何かが動く際の空間位置は、そもそも空間が与えられていなければならないが、その空間が「大地」として直接経験で与えられているというわけである。動かない大地があるからこそ、何かが動くとか静止することが可能になる。

 

ただ、時間と共に身体が動くことで経験される空間も動き、広がると言ったように、時間意識が空間意識の拡大の前提条件となっており、この前提条件に基づいて空間は拡大する。直観的な空間の拡大には限界があるが、理念化によって自然科学的な意味での客観的空間が構築される。しかし、ひとたび動くもの、静止するものとしての対象が注視されると、その対象が主題となり、逆に、根源的な意味での大地のほうは隠蔽されてしまうと谷はいう。時間も然りである。時間の現構造としての「生き生きとした現在」は、対象の主題化とともに覆い隠される。フッサールは、受動的志向性に先立つ先志向的な次元(原受動性)において時間と空間の原構造が生じていることを発見したが、こうした原初の世界の「存在」を、先存在と呼んだ。先存在は、存在すべてに端的に先立っている最も根源的な存在だとフッサールはいうのである。

文献

谷徹2002「これが現象学だ」(講談社現代新書)

 

現象学とは何か

私たちは、主観でしか世界を認識することはできない。自分の外側に飛び出して、自分を含む世界を「客観的に」眺めることなど不可能である。しかし、現在支配的な諸学問や諸科学は、後者の「あり得ない」客観性を前提としているものが多く、中でも、数学や論理学は、それが人間そのものの存在の有無に関わらず普遍的に成立することが前提とされており、世界を理解するうえで最も基礎的で「本質的な」学問のようにも思える。しかし、そのような学問が本質的であることがどうして分かるのだろうか。これに関して、フッサールの提唱した現象学は、私たちが認識できる「現象」こそが、数学や論理学を含むすべての諸学問/諸科学を基礎づけるという考え方を前提として提唱された哲学だと言われる。これはどういうことであろうか。

 

谷(2002)によれば、フッサールが提唱した現象学は「現象」についての「学問」であるが、ここでいう現象とは、「諸現出」と「現出者」を含んでいる。端的に言えば、フッサール現象学は、現出者と諸現出との関係を扱う学問である。現出者の同一性は、感覚・体験される諸現出の多様性が「突破」されることで知覚・経験されている。例えば、現出者を「正方形」とするならば、私たちには、見る角度などによって、それが平行四辺形として感覚・体験されたりする。これが「諸現出」であり、諸現出は見る角度が変われば異なる形として感覚・体験されるから、多様である。しかし、その多様な諸現出は、それらを媒介して(突破して)「現出者」が知覚されるという本質的な相関関係を示している。

 

上記のような経験を「直接経験」という。フッサールは、諸現出の体験を媒介にして(突破して)現出者が知覚されるという構造を見出したわけだが、この媒介・突破の働きが「志向性」である。フッサールは、諸学問の「下」には、直接経験=志向的体験があり、諸学問はそこから基礎づけられなければならないと考えた。そのためには、直接経験=志向的体験を、その外部から眺められるという思い込みを中断(エポケー)して、これの「内部」に還元せねばならない。現象学は、「下」と「内」からの哲学であり、直接経験=志向的体験こそが、すべての学問/科学の基礎だとフッサールは考えたのである。以下において、諸学問の性質をもとに、これをもう少し敷衍して説明しよう。

 

そもそも、近代の自然科学が数学に依拠して発展したように、諸学問/諸科学は数学を含む意味での「純粋論理学」に基礎づけられていると考えられる。フッサールによれば、数学や論理学は、いつでもどこでも妥当するという理念的・本質的で普遍性・必然性を持つ「アプリオリ」である。一方、心理学や自然科学は、ある時やある所でのみ妥当する実在的・事実的で、個別的・偶然的でもある事実学という意味で「アポステリオリ」である。アプリオリな数学や論理学は、アポステリオリな他の諸学問を基礎づけることができるが、その逆は成り立たない。だから、諸学問/諸科学は純粋論理学に基礎づけられているといえる。

 

そしてフッサールは、この純粋論理学が、さらに直接経験=志向的体験から基礎づけられると論じたわけである。すなわち、本質学における「真理」がどうして真理といえるのかといった本質の理解は、直接経験=志向的体験から得られるということなのだ。簡単に言えば、アプリオリ=本質は、経験(直接的経験=志向的体験)から抽出されるフッサールはいう。経験は、アポステリオリな成分だけで成り立っているのではなく、アプリオリな成分(あるいは少なくともその先行形態)も含んでおり、「直観」が、この直接経験=志向的体験からアプリオリな成分を抽出してきて、それを論理的なものへと仕上げるのである。では、アプリオリなものは直接経験=志向的体験のなかにどのように含まれており、それをどうやって抽出するのだろうか。つまり、アプリオリなものが、直接経験/志向性にどのように含まれるかが問題となる。

 

フッサールは、数学や論理学が人間の心理構造や心理作用の規則性といったものに基礎を持つと考える「心理主義」を否定した。なぜなら、心理主義をとると、人間以外の生物や別の心理構造を持つ人間にとっては別の数学や論理学が妥当することになり、それではアプリオリな学問とは言えないからである。かつてガリレイは、自然の中に幾何学図形があるということを述べていた。しかし。よく見れば、自然の中に完全な幾何学図形などない(と人は反論するだろう)。そこで逆に、カントは幾何学の起源を「私たち自身」に移した。つまり、私たち自身にあらかじめ備わった感性(直観)の形式として「空間」を設定しておいて、そこから幾何学を導き出そうとした。しかし、この考え方は一種の心理主義である。これをベネケという著者が批判し、フッサールも同調したと谷は解説する。幾何学は自然のなかに(あらかじめできあがって)存在しているわけではないし、私たち自身の中に(あらかじめできあがって)存在しているわけでもない。フッサール的に見れば、幾何学は、自然と私たち自身のいわば「あいだ」で成立するというのである。

 

フッサールの分析によれば、ユークリッド幾何学ニュートン物理学は、直接経験=志向体験から成立する。あるいは「生活世界」的経験から成立する。生活世界には、まだ自然科学的な意味で「客観的な」幾何学図形はないし、幾何学に対応する「客観的な」空間(や時間)もない。しかしそこには、先客観的な空間(や時間)がある。カントはこうした先客観的な空間(や時間)を知らなかったため、ユークリッド幾何学ニュートン物理学の客観的な空間概念や時間概念を前提としてしまい、それと対応するような「感性の形式」が主観的にアプリオリに備わっているとみなした。これは、根源的なもの(先客観的な空間や時間)を見落として、派生的なもの(ユークリッド幾何学などで用いる空間・時間概念)を前提とする「本末転倒」の考え方だと谷は説明する。

 

事象内容を持つ質料的本質は、3領域「物質的自然(物理的なものが主役)」「生命的自然(心理物理的な生物が主役)」「精神世界(物理的な物ではなく道具や文化を対象とする人間が主役)」に分けられる。この関係性については、物質的自然は、生命的自然なしにもありうるが、生命的自然は、物質的自然なしにありえない。また、生命的自然は精神世界なしにありうるが、精神世界は生命的自然なしにはありえない。このように、生命的自然は物質的自然に基づけられており、精神世界は生命的自然に基づけられているという、物質的自然→生命的自然→精神世界という基づけ関係が見出される。

 

しかし他方で、態度という視点で見ると、私たちが最初に経験するのは「物質的な物」ではなく、鉛筆や歯ブラシといった道具であり、その後ではじめてそららを物質的な物とみる見方(態度)を身に着ける。つまり、私たちは、物質的自然に対応する「自然科学的態度」を取る以前に、精神世界に対応する「人格主義的態度」において生きている。人格主義的態度における道具や人格こそが、根源的に経験されており、自然科学的態度における物や心理物理的な生物は、派生的に経験されているにすぎない。よって、自然科学よりも人格主義的態度の精神世界すなわち「生活世界」のほうが、自然科学よりも先行し、前者は後者から派生する。生活世界こそが自然科学的領域の始原(期限/根源)である。フッサールによれば、精神世界/生活世界こそが根源的であり、物質的自然や生命的自然は派生的なのである。

文献

谷徹2002「これが現象学だ」(講談社現代新書)

 

マルクスの思想が到達した「脱成長コミュニズム」とは何か

斎藤(2020)は、最晩年のマルクスが遺した手紙や読書メモなどをつなぎ合わせると、これまで指摘されてこなかった思想の大転換を晩年のマルクスが行っていたことが分かると論じる。どういうことかというと、マルクスは晩年になって、若かりし時代に盟友エンゲルスと執筆した共産党宣言資本論第一巻で展開した史的唯物論に基づく「進歩史観」、とりわけ「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」とは決別し、「脱成長コミュニズム」という理論的大転換を遂げていたのだと主張する。脱成長コミュニズムは、平等で持続可能な脱成長型経済を実現するための考え方である。そして、マルクスが晩年に構想したこの「脱成長コミュニズム」こそが、拡張を続ける経済活動が地球環境を破壊し尽くそうとしている現代に必要な思想なのだという。

 

たしかに、若きマルクスは、「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」に支配されていたことを斎藤は指摘する。例えば「共産党宣言」では、資本主義の発展は生産力の上昇と過剰生産恐慌によって革命を準備してくれると考えていた。だから、社会主義を打ち立てるために、資本主義のもとで生産力をどんどん発展させる必要があると考えていた節があるという。つまり、資本主義がもたらす近代化と生産性の上昇が将来の社会で人々を豊かになる条件を提供することで最終的に人類の解放をもたらすというように、人類社会にとっては過渡期としての資本主義が必要不可欠であるという考え方で、これが単線的な進歩史観であり「生産力至上主義」である。そして、この思想の背後にあるのが、ヨーロッパが時代の先端を走っており、ほかのあらゆる地域も西欧と同じように資本主義での近代化を進めなければならないとする「ヨーロッパ中心主義」である。

 

上記のような唯物史観進歩史観が維持される限り、マルクスの思想は時代遅れであり、資本主義が自然環境を破壊し人類を滅亡に導く可能性すらある現代の社会問題の解決には適用不能ということになってしまう。しかし斎藤によれば、マルクスは後期になってこの考え方を修正し、「労働」が「人間と自然の物質代謝」を制御・媒介することを含む資本と環境の関係を鋭く分析していたのだという。この関係性のもとでは、資本が自らの価値を増やすことを最優先するため、人間も自然も徹底的に利用することで、人類社会に対する適度な豊かさの提供をはるかに超えるかたちで人間と自然の物質代謝を大きく攪乱し、長時間の過酷な労働による身体的・精神的疾患や、自然資源の枯渇や生態系の破壊を招くという帰結につながるわけである。だから、資本主義は物質代謝に「修復不可能な亀裂」を生み出すことになるとマルクス資本論で警告したと斎藤は指摘する。つまり、資本主義は、人間と自然の物質代謝を持続可能な形で管理することを困難にし、社会がさらに発展するには足かせになるというわけである。

 

マルクスは「ヨーロッパ中心主義」からも決別したと斎藤はいう。生産力の発展こそが人類の歴史を前に進める原動力であるとする生産力至上主義は、ヨーロッパ中心主義を正当化していたのだが、資本主義のもつ生産力が物質代謝を攪乱し、修復不可能な亀裂を世界規模で深めるという後期の思想は、生産力至上主義を捨て、よってヨーロッパ中心主義も捨てることになったわけである。とりわけ晩年のマルクスは、非西欧、前資本主義の共同体から社会変革の可能性を学ぼうとしていたという。例えば、晩年のマルクスは、複線的な歴史観を受容するようになり、単線的な進歩史観に依拠した「革命の単一的なモデル」を拒否したという。社会主義へと至る経路は、西欧の発展モデルに限定されないばかりか、マルクスの考えるコミュニズム自体が大きく変貌したことを斎藤は指摘する。つまり、生産力至上主義とヨーロッパ中心主義を捨てた晩年のマルクスは、西欧資本主義を真に乗り越えるプロジェクトとして「脱成長コミュニズム」を構想する地点にまで到達していたのだと斎藤は指摘するのである。

 

つまり、晩年のマルクスは、持続可能性に関心を向け、自然科学研究とりわけエコロジー研究と共同体研究に没頭していたと斎藤は指摘する。「資本論」以降のマルクスが着目したのは、資本主義と自然環境の関係性だったのであると。その結果、持続可能性と社会的平等が綿密に連関していることにマルクスは気づいたのだという。マルクスは、自分の理論的転換があまりにも大きすぎたために、死期までに「資本論」を完成させることができなかった。決して資本論の辛い執筆から趣味の読書に逃避していたのではなく、進歩史観を捨て、新しい歴史観を打ち立てようとする血の滲むような努力の過程であったのだと斎藤はいうのである。では、持続可能性と社会的平等を重視する「脱成長コミュニズム」とはどのようなものなのだろうか。

 

マルクスによれば、資本主義は自然科学を無償の自然力を絞り出すために用いる。その結果、生産力の上昇は自然の掠奪を強め、持続可能性のある人間的発展の基盤を切り崩す。そう批判するマルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を<コモン>として持続可能に管理することであった。そして、自然と人間の物質代謝に走った亀裂を修復する唯一の方法は、自然の循環に合わせた生産が可能になるよう、労働を抜本的に変革していくことだということを示唆した。具体的には、「使用価値経済への転換」「労働時間の短縮」「画一的な分業の廃止」「生産過程の民主化」「エッセンシャル・ワークの重視」である。これらが「脱成長コミュニズム」の柱となる。グローバル化された資本主義が人類の生存そのものを脅かす新人世の危機に立ち向かうため、未完の『資本論』を、「脱成長コミュニズム」の理論化として引き継ぐような大胆な新解釈にこそ今取り組むべきだと斎藤は主張するのである。

文献

斎藤幸平 2020「人新世の「資本論」」(集英社新書)

 

現代思想家になる方法

千葉(2022)は、1960年代から1990年代を中心に、主にフランスで展開された「ポスト構造主義」を、とりわけジャック・デリダジル・ドゥルーズミシェル・フーコーの思想を中心に「現代思想」として紹介し、現代思想を、「秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する」「20世紀の思想の特徴は、排除される余計なものをクリエイティブなものとして肯定したこと」だと論じる。つまり、秩序をつくる思想はそれはそれで必要だが、しかし他方で、秩序から逃れる思想も必要だというダブルシステムで考えてもらいたいという。そして、現代思想の特徴を解説することによって現代思想家になるための方法を紹介している。

 

現代思想における思考法の1つが「脱構築」であるが、千葉は、脱構築とは、物事を「二項対立」、つまり「2つの概念の対立」によって捉えて、良し悪しを言おうとするのをいったん留保することだという。二項対立は、ある価値観を背景にすることで、一方がプラスで他方がマイナスになるように仕組まれた方法なのだが、そもそも二項対立のどちらがプラスなのかは絶対的には決定できないと千葉はいう。このことを踏まえた千葉の解説によると、まず、「脱構築」では、二項対立を設定した後、二項対立において一方をマイナスとしている暗黙の価値観を疑い、むしろマイナスの側に味方するような別の論理を考える。そうすることで、対立する項が相互に依存し、どちらが主導権を取るのでもない、勝ち負けが留保された状態を描き出す。そのときに、プラスでもマイナスでもあるような、二項対立の「決定不可能性」を担うような、第三の概念を使うこともあるという。

 

また千葉は、現代思想とは差異の哲学だと論じたうえで、ズレや変化を時間的に捉える「生成変化」についても以下の通り解説する。まず、ドゥルーズは、世界は差異でできているという世界観を展開しており、あらゆる事物は、異なる状態になる「途中」であるという。ここでは、同一性/差異という二項対立が想定され、同一性よりも差異が先だというポジションをとっていることが重要である。ドゥルーズによれば、事物は、多方向の差異「化」のプロセスそのものである。プロセスは常に途中であって、決定的な始まりも終わりもない。事物は時間的であり、変化しており、出来事である。全ては生成変化の途中であるというのである。ここでは、差異が中心となり、同一性は二次的な位置に置かれている。それにより、すべての同一性は仮固定であり、世界は時間的であって、すべては運動のただなかにあるということになる。

 

さらに千葉は、フーコーによる権力の二項対立図式を解説する。権力と聞くと、強い権力者が弱い人民を抑圧し支配するという一方的・非対称な関係を想像するが、フーコーは、支配を受けている人々はただ受け身なのではなく、むしろ「支配されることを積極的に望んでしまう」ような構造を明らかにしたのだという。つまり、支配するもの/されるものという二項対立を考えるときに、権力は一方的に上から押さえつけられるだけではなく、下からそれを支える構造もあって、本当の悪玉を見つけること自体が間違いだという。また、正常/異常という二項対立においては、正常が正しく異常が間違っているというよりは、下からも来る権力構造によって、マジョリティから見て厄介なもの、邪魔なものを「異常」として排除する構造が見えにくくなっている結果だというのである。

 

千葉は、上記のような現代思想の特徴に基づいて、現代思想を作るための4つの原則について述べる。それは、「他者性の原則」「超越論性の原則」「極端化の原則」「反常識の原則」である。まず、①他者性の原則として、基本的に、現代思想において新しい仕事が登場するときは、まず、その時点で前提となっている前の時代の思想、先行する大きな理論あるいはシステムにおいて何らかの他者性が排除されている、取りこぼされている、ということを発見すると千葉はいう。これまでの前提から排除されている何かXがあるというわけである。

 

つぎに、②超越論性の原則では、広い意味で、超越論的(根本的な前提のレベル)と言えるような議論のレベルを想定する。現代思想では、先行する理論に対してさらに根本的に掘り下げた超越論的なものを提示する、というかたちで新しい議論を立てるという。その掘り下げは、第一の「他者性の原則」によってなされるわけである。つまり、先行する理論では、ある他者性Xが排除されている。ゆえに、他者性Xを排除しないようなより根本的な超越論的レベル=前提を提示するというように議論を展開するのである。

 

そして、③極端化の原則にといて、現代思想ではしばしば、新たな主張をとにかく極端なまでに押し進めるのだと千葉はいう。例えば、排除されていた他者性Xが極端化した状態として新たな超越論レベルを設定する。さらに、④反常識の原則として、ある種の他者性を極端化することで、常識的な世界観とはぶつかるような、いささか受け入れにくい帰結が出てくるという。しかし、それこそが実は常識の世界の背後にある、というか常識の世界はその反常識によって支えられていると論じていく。つまり、反常識的なものが超越論的な前提としてあるわけである。これらのような原則を頭に入れたうえで現代思想を学んだり、自ら現代思想を作っていくことの有効性を千葉は論じるのである。

文献

千葉雅也 2022「現代思想入門」(講談社現代新書)

 

 

世界が純粋機械化経済に移行するとどうなるのか

井上(2019)は、有史時代となってから世界の経済は、農耕中心の経済の生産構造から、機械化経済の生産構造へと変化し、将来は、純粋機械化経済の生産構造へとシフトすることが予想されるという。このような経済の生産構造の変化は私達にどのような影響をもたらし、今後もたらしていくだろうか。まずは、井上が提唱するそれぞれの生産構造についてそれらの世界における歴史および経済成長の軌跡に触れながら簡単に紹介しておこう。

 

まず、農耕中心の経済の生産構造は、石器時代の紀元前9000年ごろから始まった農耕革命に端を発し、産業革命前までの間にわたって支配的であった生産構造だと井上は説明する。農耕という形態で行われる生産構造の主要なインプットは、土地と人々の労働であり、これによって農産物というアウトプットが生まれ、消費される。農耕中心の経済の生産構造のもとでは、土地が広ければ広いほど、そして働く人々が多いほど農作物としての生産量が増える。生産量が増えれば人々の生活や食糧事情は豊かになるはずであるが、「マルサスの罠」が示すとおり、食料が増大した分だけ多くの子供を作ることで人口が増えていったため、一人あたりの豊かさすなわち所得はさほど増加しなかったと井上は指摘する。

 

その後、一人あたりの収入が大きく増加の途をたどるようになる原因となったのが、蒸気機関の発明と利用が牽引した第一次産業革命をきっかけとした機械化経済の生産構造への転換だと井上はいう。工業中心の経済である機械化経済の生産構図では、生産活動に必要なインプットは、機械と人々の労働であり、主なアウトプットは工業製品である。そして、インプットの一部でもある機械は、工業製品として作り出すことできるアウトプットでもあるため、ポジティブな循環関係が働き、工業製品の生産量が飛躍的に伸びることとなった。実際、産業革命期のイギリスでは、人口がかつてない勢いで増大したが、それを振り切るようなスピードで生産量が増大し、1人あたりの所得が増大したと井上は指摘する。その後、内燃機関や電気モーターが牽引する第二次産業革命、コンピューターとインターネットが牽引する第三次産業革命がおこったが、機械化経済の生産構造には大きな変化をもたらさなかったと井上はいう。

 

そして、現在はAIなどがもたらす革命である第四次産業革命のさなかにあり、これが、新たな生産構造である純粋機械化経済をもたらす可能性を井上は示唆するのである。純粋機械化経済の生産構造では、インプットはAI・ロボットを含む機械のみとなって、人々の労働が不要となる。そして、機械化経済の時と同じく、インプットであるAI・ロボットは、生産によってもたらされるアウトプットの一部でもあるので、ここにポジティブな循環関係が生まれる。ただし、純粋機械化経済の生産構造において人々の労働がまったく必要ないというわけではない。井上は、AIやロボットに代替されにくい労働として、クリエイティビティ、マネジメント、ホスピタリティに関する仕事を挙げており、それらの仕事によって、商品企画や生産活動全体のマネジメント、人間的なホスピタリティを提供する。逆に言えば、それら以外のAIやロボットに代替されていく。

 

井上によれば、機械化経済と純粋機械化経済の大きな違いは、ボトルネックとなる人々の労働が不要になることによって、機械による機械の生産が無限に繰り返され、生産規模がどこまでも拡大するプロセスが可能になっていることである。すなわち、機械化経済の生産構造のもとでは、インプットとして機械とともに労働が必要であり、労働は労働力人口と労働時間という制約があるから、機械だけを増やしていっても生産量は制約条件を超えて増えることはない。しかし、純粋機械化経済では、機械を増やせば増やすほど生産量が増えるという関係となっており、労働という制約条件がない。これは、IT産業やコンテンツ産業と同じ構造をしており、限界費用がゼロに近いので再現なく生産量を増やすことが可能である。それによって経済成長が爆発的に増加することを井上は示唆するのである。

 

とはいえ、いくら商品やサービスの供給が爆発的に拡大しても、同じように消費需要が増えなければ経済は成長しない。すなわち、純粋機械化経済の生産構造のもとでは、指数関数的な経済成長が起こりうるが、それはあくまで潜在供給にもとづく潜在成長率であり、消費需要が低迷していたら実現しないのである。そこで井上は、純粋機械化経済における政府の重要な役割として、マネーサプライを増やすことと、所得を再分配することを挙げる。例えば、需要の減退に伴うデフレから脱却するために、政府は「ヘリコプター・マネー」という形でお金をばらまくことをマクロ経済政策の主軸に据えるべきだという。また、ベーシック・インカムというかたちで政府が大胆な所得再配分政策を取ることにより、純粋機械化経済において仕事を失い所得を減らして消費を減退させた人々のお金の量が増えることを示唆する。今のところこれらの施策は中枢たる国家しか果たすことができないのだと井上はいうのである。

文献

井上智洋 2019「純粋機械化経済 頭脳資本主義と日本の没落」日本経済新聞出版社

 

「世界統合」vs「勢力均衡」で理解する世界史と未来の世界

長沼(2021)は、E.H.カーの「歴史とは、現在と過去との対話である」という言葉を引きながら、現代の私たちが未来をどう見るかで、どのように過去からのストーリーを決めるのだという。そのような視点から、長沼は、「未来はコンピューター化された経済力やメディアなどの目に見えないパワーに動かされる、それは、見えない皇帝と呼ぶべき非人格的な力が世界を画一的に統合する専制帝国化によるものだろう」という見方から、過去の世界史を、「世界統合」と「勢力均衡」という構造で捉えることの重要性を説く。この「世界統合」vs「勢力均衡」というテーマは、「世界を根本的にどのようなシステムで運営するか」の選択の問題として存在してきたと長沼はいう。

 

長沼によれば、古代においてローマ世界は、ローマが地中海を制覇してローマ帝国という単一の帝国に統合した世界であり、ギリシャ世界は、多数の都市国家が対等な立場で並立する世界であった。ナポレオン戦争が勃発した時代では、ナポレオンがヨーロッパ全体をフランスの三色旗の旗に統合するという「世界統合型」のビジョンで動いていたのに対し、英国はむしろ大陸内部に単一の覇権国家が生まれることを阻止し、複数の国家がバランスをとりながら並立する「勢力均衡型」の世界を志向していた。ナポレオン戦争はまさに「世界統合型」と「勢力均衡型」の2つの理念が激突する戦争だったが、英国が勝つことで、ヨーロッパ社会は以前からの勢力均衡型の世界が守られてそのまま続くことになったのだと長沼は解説する。

 

一方、中国史を見てみると、中国の場合は、魏や楚などの有力諸国が並立する勢力均衡型の世界に近いものだったのが、秦の始皇帝によって中国統一が成し遂げられて以降、単一の帝国に統合される世界が続いている。その結果、勢力均衡型の西欧に似た一種の溌剌さが希薄化していき、大きな権力の下で管理社会の中の沈滞した精神のようなものに国全体が覆われていったようにみえると長沼はいう。つまり、世界史を眺めると、西欧社会は基本的に勢力均衡型として成り立ってきたのに対し、中国は基本的に単一の帝国からなる世界統合型として成り立っていたというわけである。地政学的に見ても、大陸内部の地形が基本的に平原である中国は単一の帝国になりやすく、海が切り込んでいたり大山脈が大陸を分断するような欧州では勢力均衡が維持されることができたと考えられると長沼はいう。

 

世界統合型と勢力均衡型の特徴を見てみると、世界統合型の体制では、ひとたび帝国の支配を受け入れれば、自由と独立を手放した代償として平和と安定を享受することができる。一方、勢力均衡型の体制は、たしかに自由と独立は持ち続けることができるが、その自由は時に戦争という手段で守られるものであるため、日常的に戦争に明け暮れる世界であると長沼はいう。そして重要なのは、いったん単一帝国型になってしまった世界では、壊れてしまった勢力均衡時の地域的なつながりやデリケートな伝統を、社会全体でバランスをとるようなかたちでうまく再建することが非常に難しいことである。つまり、世界統合型の巨大帝国への移行は一種の不可逆過程だと長沼は主張するのである。

 

そして、世界史を踏まえつつ現在のわたしたちの世界を眺めると、中国史のなかで起こっていた不可逆的変化に似たものが、まさにこの世界で起こりつつあるように思えると長沼はいう。現在進行中のグローバリゼーションの理念は、明らかに一種の「世界統合」を志向するものであるが、それは無形化した力が国境を超えて液体のように浸透していくかたちで進む、全く新しいタイプの世界統合だという。つまり、現在のグローバリゼーションは、経済やメディアといった抽象的、無形化的な意味においては中国のような地形の平坦化・平原化が進行しており、始皇帝的な単一世界による一種の専制体制への道を生みかねないと長沼は警鐘を鳴らす。ただ、これまでと違うのは、世界を統合しようとする「皇帝の意志」に相当するものは非人格的な存在だということである。

 

具体的には、現在では国境をまたいで巨大化するこのマーケットとメディアの複合体の中に、社会の全ての力が集まってきていると長沼は指摘する。実際、経済活動のパターンが各国で同一化することで、同じ商品やサービスを世界中のどこでも売れるようになり、企業の無国籍化・多国籍化も容易になってきている。さらに世界全体で生活習慣や制度などが次第に画一化してくると、法律も同じものでよいという話になり、国境線自体が次第に意味を失っていくだろう。こう考えると、現代ではたとえ始皇帝のような人物が存在しなくても、社会にこのようなみえない力が働いて、世界を画一的な単一の帝国へと推進する仕掛けになっている。

 

そして社会内部では、一人ひとりが直接その巨大権力と平等につながることで、地域の伝統的なつながりは不要なものとして消えていく。こういう社会は一見、非常に自由にみえはするのだが、実際には人々は心の底で自分がそのみえない巨大権力の操り人形でしかないことに気づき、虚無と無力感の中に沈んでいく傾向が強いと長沼はいう。

 

さらに長沼は、アメリカの民主政治を考察したフランスの政治学トクヴィルの言葉を引く。トクヴィルは「あまりにも自由で平等な社会では真の意味での社会の多様性は消滅するだろう」「現代世界では、全ての民族や全ての人々は、たとえ互いに模倣しあわずとも似通ったものになっていき、世界中どこにいっても同一の行動様式、思考様式が見られるようになっている」と指摘する。つまり、民主社会において人々が短期的願望を追求する結果、表面的には多様性のある社会となっても、基本的な価値観や制度などのもっと根本的なメカニズム部分(長期的願望)では逆に画一化していくという説を長沼は紹介する。

 

今後、このようなグローバリゼーションによる世界統合の動きに対抗することは可能なのか。近年進行中のグローバリゼーションに逆行するような政治経済の動きはそれを示しているのか。私たちは現在、ナポレオン戦争のときのように、グローバリゼーションを巡って繰り広げられる一種の無形化した大きな戦いのさなかにいるのだといえよう。

文献

長沼伸一郎 2021「世界史の構造的理解 現代の「見えない皇帝」と日本の武器」PHP研究所