クラース(2025)は、ある人物とは全く関係のないと思われる人物が偶然選んだ選択肢が、その人物の生死に関わったり、偶然生じた小さな出来事が世界を大きく揺るがすことになった歴史をはじめとする数多くの事例を紹介しながら、ほんの些細な偶然がいかにこの世界を大きく変えるうるのか、そして、自分自身は何もコントロールしていないが、あらゆることに影響を与えているのだということを示している。自然現象も同じことで、小惑星の地球衝突のタイミングや位置がほんの少しでもずれていたら人類が出現しなかっただろう。つまり、私たちの人生は偶然が支配し、この世界は成り行きの産物である。成功や失敗も、進化も歴史も、小さな偶然の積み重ねに左右されている。重要なのは、私たちのすべての行動は、たとえそれがどんなに些細なものであっても、常に世界に影響を与え続けているということである。
これがこの世界の真実なのだとすれば、何が言えるのだろうか。クラースが主張するのは、まず、私たちが自然科学の脅威的な発展などに支えられ、この世界を予測したりコントロールすることができると考えるのは幻想だということである。確かに人類は、ロケットの軌道を正確に予測し、コントロールし、人類を安全に月に着陸することに成功している。しかし、それは世界全体を考えるならば例外中の例外といえよう。社会現象に至っては、正確な予測やコントロールが困難なことは経済学の現実への応用などを見れば明らかである。それよりも世界の歴史の多くの出来事が偶然の出来事で形成されており、これからの世界がどうなるのかを予測することはほぼ不可能である。私たちに必要なのは、世界は偶然で成り立っており、物事を予測したりコントロールするのは困難なことを確認することであろう。
では、なぜ世界は偶然で成り立っているのか。原理的には全ての事は決定しており神のような計算力があれば未来は予測可能なのではないのか。それは現代の諸学問の発展によって明らかにされつつある。まず、ニュートンの時代に支配的になりつつあった決定論は否定されている。物質の位置や運動状態のように、現在の状態がわかれば原理的には将来どうなるのかが予測できるという考えは誤りである。非線形性が支配する決定論的カオスや複雑適応系の理論が示唆するのは、初期状態がどれだけ微細に違っていても、その後の展開は全く異なっていくということである。複雑適応系では様々な要素が相互に影響を与え合うので、一見してシステムとして収束に向かっているようでも臨界状態になるとほんの些細なことがその後の進行を大きく変えてしまう。そして量子力学が示唆するのは、物質世界の根本において、現在の状態が次の状態に移行する際には不確実性が存在するということである。
複雑系の理論と量子力学を組み合わせれば、この宇宙が誕生した瞬間から、あらゆるものが根本的にはランダム性を保ちながら、カオス的なプロセスによってお互いに影響を与え合い、この世界を形成してきたということが実感できる。この宇宙の誕生の瞬間にその後の全てのことが決定されているといった考え方は、ニュートン力学が支配していた時代にはありえた発想であるが、現在の学問的知識から言えば明らかな間違いである。物質世界でも社会でも、また、大きな出来事には大きな原因があり、些細なことは影響しないというシンプルな考え方も間違いである。ほんの些細な偶然が大きな結果を生み出し、世界を大きく変えてしまうのである。そして世界の根本は不確実でランダム性(偶然)に支配されているので、原理的にも物事の正確な予測は不可能である。
さらに偶然が支配する世界の理解を促進する強力な思考ツールが進化論である。進化論は、偶然性がもたらす変異と適者生存の自然選択が生物の世界を生成発展させてきたことを示唆し、この思想は、生物学以外の自然科学や社会科学にも適用可能な考え方である。つまり、進化論は、万物がいかに生成発展しているのかを説明するためのヒントを与えてくれる。進化論に複雑系の理論と量子力学に加わることによって、単に、優れた個体が生き残るという側面ではなく、偶然、そこに居合わせた者、偶然生じたことが生存に影響する、運の良い物事が生き残ることで物事が進化するという側面が強調されるのである。
では、偶然によって物事が生成発展する世界、私たちのあらゆる些細な行動さえもがこの世界に影響を与え、私たちの人生も他者の偶然などによって影響を受けている世界、そして私たちが予測したりコントロールすることが不可能な世界において、私たちはどのように生きていけば良いのだろうか。そもそも、私たちは、自分の人生を舵取りするための自由意志を持ち合わせているのだろうか。それとも私たちは偶然に成り行きを任せるしかない無力な存在なのだろうか。これに答えるために、まず自由意志について考えてみよう。
自由意志の問題は、哲学的にもまだ解決されていない厄介なものであろうが、クラースの議論によれば、世の中は決定論に支配されており私たちに自由意志がないというのは誤りであることがわかる。しかし一方で、生物学や神経科学の学問的発展により、私たちに物質的基礎がない独立した自由意志があるという考え方もまた誤りであることが明らかになっている。私たちの物質的、生物学的な現象と自由意志を含む意識や精神とには相関があり、相互の因果関係は不明であるが、物質世界は決定論ではないので、私たちの自由意志は限定的には存在するといってよいのかもしれない。しかし、自由意志があることは、私たちが自由に自分自身の行動や行く末を決定できるということではない。
私たちは、物事を単純に理解したいというバイアスを生まれながらに持っている。これ自体、人間が自然に適応していくために進化させてきた特徴とも言えるが、それゆえに、偶然が支配する出来事や歴史にもストーリーを当てはめてあたかも意味がある話のように捉えてしまうし、世界を動かすシンプルな因果関係を想定しようとする。そしてそのバイアスに基づいて自分自身の人生も自分で決定できると思いがちである。しかし、あらゆるものが究極的、原理的には予測可能でコントロールできるという幻想が逆に私たちを苦しめてしまう。現に、自然科学や資本主義の発展はよりよき社会を築くために機能してきたかと思いきや、逆にそれは自然破壊や社会的不平等を生み出しさらなる問題を生み出している。
では、どうすれば良いのか。クラースは、世界はカオス的であり、人生は偶然によってつくられるからこそ、豊かで価値があるのだと主張する。私たちは、量子レベルでの確率的な振る舞いや、ノイズにしかすぎないと思われる些細な出来事が、カオス理論や複雑系科学で言うところのバタフライ効果を通じてマクロな世界に増幅される可能性を理解し、今、この瞬間の小さな揺らぎや選択でさえもが、遠い未来に予測不能な巨大な変化を起こす可能性を意識することが大切であろう。これは、何事もないような日常的な生活と人生に大きなインパクトと意味を与えてくれるエキサイティングな事実である。この小さな揺らぎや選択は、私たちが持つ自由意志によってなされる。自由意志による選択や行為によって人生をコントロールすることはできなくても、自分の人生や他者の人生に大きな影響を与える可能性を秘めている。
世界は偶然によって形成されつつも、実際に未来がどうなっていくのかは進化論的なプロセスが鍵を握っている。偶然のプロセスによって駆動する進化は不可逆であり、元に戻ることができないからこそ、私たちの人生は一回限りであると言うのも真実である。私たちが今、ここにいるのは、宇宙の始まりから綿々と続いてきた偶然的なプロセスの産物なのであり、誰かが何かをコントロールして生じた結果ではなく、これからもそうである。私たちが今、完璧なまでに偶然の産物としてここにいることの幸運とありがたみを日々の生活で噛み締め、私たちが自由意志によって織りなす日々の生活がこの世界全体の形成に影響を与えている、私たち一人ひとりにそのような大きな力があるのだということを実感し、偶然と進化のプロセスがもたらすこの人生を楽しむことが大切なのであろう。
文献
ブライアン・クラース 2025「「偶然」はどのようにあなたをつくるのか: すべてが影響し合う複雑なこの世界を生きることの意味」東洋経済新報社