文章から学ぶ「思考の形態学」

花村(2016)は、文章読本という形ではあるが、様々な例文によって文章を思考パターンとして抽出して紹介することにより、思考のトレーニングの材料を提供しようとしている。文章読本は10章からなり、それぞれ、異なるパターンの思考形態を紹介するような形式になっている。


第1章では、たった1つの言葉に1冊の書物にも匹敵する思想が込められていることがあるという「単語は巨大な思考単位である」というパターンを紹介している。語義縮小パターンでは、「XをAだと考える輩がいるが、それは間違っている。Aではなくて本当はBなのだ」という思考を示す例文が紹介されている。語義拡大パターンでは、単語が言語現象をはるかに超え出て用いられることから、大風呂敷型のような思考であると花村はいう。第2章では、言語の由来を考えるという「創造的な解釈作業」によって、根源的な思考とこじつけに陥らない知恵の両方を手に入れることができると花村は論じる。


第3章では、確実の思考というパターンを扱っている。方法論的懐疑と論理を用いて、確実に言えることは何なのかを追究していくような思考である。例えば、デカルトは少しでも疑わしいものをすべて消去していくことで最後にたどり着くものが確実だという論理を用いている。また、明確な思考をするために、多義的な言葉にあらかじめ意味を限定しておくという「定義の思考」も紹介している。第4章では、全体と一部の思考と称して、思考が普遍性を獲得すると、一部の例外のみで反証されてしまうという「全部と一部との緊張した対立」が避けられないこと、それに対し、「〇〇もある」という特殊命題のレベルを含めて論理に組み込む「量化の思考」や、「換喩」(メニトニー)のように1部を挙げて全部の代用にすりょうな「代用の思考」を紹介している。


第5章では、問いを明確にすることで深い思考を可能にしてり新たな思考を促したりする「問いの思考」を紹介している。文章では、疑問文を作ることに対応する。また、自問自答や対話をしてみる。問うことで常識に揺さぶりをかけることも可能である。問いで始まる疑問を解決の方向にもっていく思考法の典型が科学であり、答えのない驚きなどにとどまってそれを表現するのが形象的思考で、感動の誇張された表現とも解釈できる。第6章では、視点の転換を促す「転倒の思考」を紹介している。ベルグソンによれば、ひっくり返すことは「わらい」の1つのパターンであり、新たな視点をもたらすことにもつながる。


第7章では、槍は人間の手の延長であるとか、衣服は皮膚の延長であるなどの文章に見られる人間拡張の思考を紹介している。古来からあるこうした素朴な思考は、現代の技術文明を考えるのに有効だと花村はいう。それに対して、第8章は、人間以外のものを人間であるかのようにみなす擬人法の思考を紹介している。擬人法によって思考の対象が生き生きととらえられるようになるだけでなく、人間の境界が曖昧かしている先端領域では擬人法の思考は活性化しているという。


第9章は、ある仮説を極限まで押し進めたときにいったい何が起こるのかを考える「特異点の思考」を紹介している。特異点の思考は、常識に安住する思考に揺さぶりをかける強靭で破壊力のある思考だと花村はいう。例えば、数学の証明技術まで洗練された背理法のような背理の思考である。否定的な仮定を推し進めて受け入れがたい帰結を示し、それとは反対の命題を肯定・承認しようとする思考法である。「〇〇しないと、こうなるぞ」というように背理を使うことが命令になっているという例もある。特異点の思考は一種の思考実験で、この論理をどこまでも押し進めていったらどうなるのかを問い詰めるわけである。


最後の第10章が「入れ子の思考」である。これは、世界は入れ子構造になっていることに着目する思考である。そもそも思考とは、無数の入れ子構造のなかにある人間がその外側を探求しようとする終わりなき試みなのだと花村はいう。