水平思考による創造的思考法

論理的思考すなわち「垂直思考」とは異質かつ正反対の「水平思考」という言葉を初めて紹介したデボノ(2015)は、画期的なアイデアは際立った知性の持ち主だけが生み出せるものではなく老若男女を問わず誰でも生み出せるものだとし、新しいアイデアを生むための水平思考は習得できる技能だと説く。


まずデボノは、現実では、既成のアイデアによる支配の影響力によって新しいアイデアを生み出すプロセスが阻害されると説く。あらゆるものが既成のアイデアをもとに作られ、すべてのことが既成のアイデアに委ねられてしまう。つまり、支配的アイデアが創造性の障害となる。そのような支配的アイデアの影響力から逃れるための水平思考のテクニックは、その場面で支配的だと思われるアイデアをきわめて慎重に選び出し、明確にし、書き留めるという方法である。支配的アイデアをぼんやりと大まかにしか意識していない状態では、無意識的にそれに影響を受けてしまう。一方、支配的アイデアを注意深く慎重にむき出しにしてしまえば、その影響を認識し回避することが容易になるという。


また、支配的アイデアを認識したうえで、それが最終的にアイデンティティを失って崩壊するまで、徐々に歪めていくというテクニックもあるとデボノはいう。そのためには、支配的アイデアを極限まで追い詰めたり、あるいはそのアイデアの一部の特徴だけを誇張したりする方法があるという。しかし、怠慢から既成のアイデアに支配される場合もあるとデボノは指摘する。自分でアイデアをつくりだすよりも、筋の通ったまとまったアイデアを受け入れるほうが楽だからである。よって、議論に負けるなど、間違えることに喜びを見出すくらいでないといけないという。たとえ新しいアイデアが約に立たないものであっても、既成のアイデアを打ち破ることに価値があると考えるわけである。


すでに適切な説明がなされたものについて、新しい情報に照らして、慎重に考えてみようとする態度も重要だとデボノはいう。そのような説明は往々にして、仮説を積み重ねた結果の一種の思い込みにすぎない。デボノによれば、仮説の正しさを証明するのはその有用性のみであり、有用である限りはその仮説も存続するのであるが、どんなに有用な仮説であっても、よりよい仮説を探し求めることを怠ってはいけないというのである。見慣れたパターンや説明そのものを疑問視しなければならないときがやがてはやってくるからである。


さまざまなものの見方を探し求めることも水平思考の重要なテクニックである。デボノは、ものの見方を少し変えるだけで結果が大きくかわる可能性を指摘する。例えば、ジェンナーは、人はなぜ天然痘にかかるのかではなく、酪農場で働く女性はなぜ天然痘にかからないのかということに視点を移したことで牛痘ワクチンを発見した。つまり、常識的なものの見方からそれほど常識的でない見方へと切り替えるには、力点を置き替えるだけでよいとデボノはいうのである。


視覚的イメージでものを考えることも重要である。なぜならば、言葉の硬直性がものの見方の硬直性につながるからである。例えば、言葉や名前がつくと、見方が固定されてしまったりする。よって、線、図表、色、グラフ、そのほかいろいろなものを用いて、普通の言葉では表現するのが極めて難しい関係を説明してみることが大切である。また、物事の見方の数をあらかじめ決めておき、必ずそのような見方を探し求めるとか、太陽が地球の周りを回っているという発想から地球が太陽の周りを回っているという発想に変えるように関係を意識的にひっくり返すとか、硬直化した特定のものの見方に支配されている状況をより扱いやすい別の状況に移し替えてみるとか、1つの問題のある部分に置かれた力点を別の部分に意識的に移すなどのテクニックを紹介している。


さらにデボノは、新しいアイデアは論理的に矛盾しているようにみえることがあると指摘する。しかし、外部からの論理的な判断に負けなかった多くの発明家がそうであったように、論理的にありえないと思われるアイデアを早々と却下してしまうのではなく、とりあえず受け入れて、そこからいろんな方向へ(アイデアを下支えしている土台の方向やアイデアが伸びようとしている上の方向に)できるだけ発展させてみることが大切だと説く。


最後に、例えば、既存のアイデアでは説明ができないことが発生した場合、遊びのなかで偶然生まれたものによって、それまで説明できなかったものを説明できるようになることがある。実は、脳が行き当たりばったりにあらゆる情報源から情報を受け取れるようにしておくのが理想的だとデボノはいうのである。いつでも偶然を活かせる状態にあることが重要なのであり、新しい影響を与えてくれるものんとの偶然の出会いが必要なのだというのである。