リベラルアーツとはいったい何か

リベラルアーツとは何だろうか。瀬木(2015)は、リベラルアーツとは、教養という言葉によってしばしばイメージされるような権威付けのための用いられる知識ではなく、生きた、実践的な教養であると主張する。つまり、リベラルアーツの本来の趣旨は、「人の精神を自由にする幅広い基礎的学問・教養」であり、その横断的な共通性、つながりを重視する含みを持って用いられる言葉である。そのような意味におけるリベラルアーツは、自然・社会・人文科学のみならず、広い意味での思想、批評、ノンフィクション、そして各種の芸術までをも含むものであるという。


瀬木は、わが国において単線的な成長が終わり、生涯雇用の原則も崩れ、グローバルな競争力が必要となった今こそ、そのような世界で生き抜いていくための基本的方法・戦略として、個々の人間が自分の頭で考え、自分の頭で判断して、みずからの人生に新たな局面を切り開いていくことが求められているという。その意味においても、リベラルアーツは、独自のパースペクティヴ、ヴィジョン、価値観、人生観、世界観、人間知の基礎となるような教養でもある。単なる知識ではなく、柔軟な思考力、想像力、感性を身につけるためのものなのである。


つまり、リベラルアーツによって実践的な意味における生きた教養を身につけ、自分のものとして消化する。そして、それらを横断的に結びつけることによって広い視野や独自の視点を獲得し、そこから得た発想を生かして新たな仕事や企画にチャレンジし、また、みずからの人生をより深く意義のあるものにする。このように、リベラルアーツを理解するためには、その横断性、普遍性、広い世界とのコミュニケーションの基礎、飾りやファッションではなく身につき使いこなせる教養、その人固有の「生」の形と結びついた教養、理論と実践の両輪をつなぐシャフト、といった観点が重要だと瀬木は説く。考える方法や感じる方法の生きた蓄積であるリベラルアーツは、個々人がみずから考え、発想し、自分の道を切り開いていくための基礎として、まず第一に必要とされるものなのである。


瀬木によれば、リベラルアーツを学び続けることは、人生に新たな局面を切り開くための最も有効な投資である。つまり、リベラルアーツを学ぶことによって、私たちが自分自身の人生をより充実した意味深いものにしていくのが可能になる。また、リベラルアーツによって、人のいうことを正確に理解する力、さらには、自分で考える力、また、新たな重要課題、すなわちアジェンダを設定する力を磨くことができる。


そして、瀬木自身がリベラルアーツから得たものとして、第一に「生きる力」を挙げる。困難な状況に出会っても、へこたれず、節を曲げず、システムに事大主義的に順応することなく、自分の生き方や考え方を貫いていく力ということである。そして第二に、「生きる楽しみ」「考え、感じる喜び」を挙げる。本を読む、音楽を聴く、映画を見るといった行為によってリベラルアーツに接することは、現実の人生から受け取ることのできる価値とは異なった心の中の人生・世界(書物や作品の受容や創造)を充実させることにつながるというわけである。