ハーバード流 ファイナンスで学ぶ人生設計

金融業界やファイナンスというような言葉を聞くと、拝金主義で強欲資本主義の片棒を担ぐ人々の集まりのような印象を受ける人がいるかもしれない。しかしデサイ(2018)は、ファイナンスこそが、現代社会において善い人生を送るための知恵を与えてくれるものであると主張する。まず、私たちが暮らす社会は、あらゆるものが複雑化し、偶然にも左右される先行き不透明な世界である。そのような環境で私たちはどう生きていけばよいのか。デサイによれば、ファイナンスは不確実性に満ちたこの世界を生き抜くために必要なツールを提供する。それを端的に示しているのが保険の存在とそのメカニズムである。偶然は人知を超えるもので神のみが支配するものではない。偶然性もマクロでみれば規則性があり確率論の自然法則に従っている。つまり偶然は総和で見れば予測・管理可能である。よって、リスクを大勢の人の間で分け合うことで総和としてコントロールしようという保険の考え方が人生設計に役立つのである。つまり、人生の本質とは、無秩序と混沌に向き合い、それを否定するのではなく理解し、混沌とともに生きることだというのをファイナンスは教えてくれるというのである。


人生においては、大きな価値や成功を生み出すためにリスクを取る必要がでてくる。つまり、人生設計に必要なものの1つがリスク管理でもある。保険をはじめとするファイナンス理論はこの際の知恵をもたらしてくれる。その代表例が、オプションと分散化である。株価など金融資産のランダムウォークの数式化から理解できるオプションは、投機ツールでもありながら保険としても機能するリスク管理ツールである。つまり、オプション理論を活用することで、私たちは人生設計におけるリスク管理を効果的に行うことが可能になる。また、自分にとって大切なものを分散化することの重要性をファイナンスは教えてくれる。分散化の理論は、自分にとって最も貴重なリソース、すなわち時間と経験を不完全相関資産に分散投資することでポートフォリオを築くことが、人生のリスクを分散しリターンを最大化するための大きなメリットをもたらすことを教えてくれる。


また、ファイナンスにおける資産価値評価の理論は、人生の価値とは何か、価値創造とは何か、さらには価値を生み出す「才能」とは何かについて教えてくれるとデサイはいう。ファイナンス的視点から端的にいえば、価値を生み出すとは資本提供者の期待リターンを超えるということである。これは、人生の価値に読みかえれば「もらったものよりも多くを返す」ことに他ならない。価値創造とは、できる限り長い間、期待を上回り続けることであり、もらったものよりも多くを継続的に返し続けることである。そのために、利益を再投資し、資本コストよりも高いリターンを生み出し続けることが重要である。すなわち「自己への投資をやめず、成長し続ける」ことが重要だということである。価値評価の理論とは奉仕と義務の論理である。例えば、自分の「才能」が天から自分に与えられたものであるとすれば、与えられた才能以上のものをこの世の中に返していくことが人生で生み出すべき価値であり、生きる上での使命であり、生きがいでもあるともいえよう。


保険論やポートフォリオ理論のみならず、企業金融も、人生設計に多くの知恵を与えてくれることをデサイは示唆する。例えば、株主と経営者の関係やコーポレートガバナンスで重要になってくるエージェンシー理論は、私たちの生きる現代社会が、プリンシパル依頼人)とエージェント(代理人)との関係の複雑な連鎖で成り立っていることを教えてくれる。よって、エージェンシー理論の理解が、社会における人間関係、自分の立ち位置や行動への深い洞察を与えてくれる。また、異なる企業同士のM&Aに関する理論や知識は、人生における結婚やその他の人間関係のあり方に洞察をもたらしてくれる。さらに、借金をレバレッジとして考えることは、今、手元のリソースでは手に入らない大きなチャンスを手に入れるために他者のリソースを活用することであり、つまり大きなことを成し遂げるために他者に援助してもらうことである。そしてそれは同時に、援助してくれた他者に対する義理や責任が生じることだと教えてくれる。私たちが仕事や私生活においてどこまでレバレッジをかけるかというのは人生の1つの重要な選択といってよいだろう。


人生における失敗は、ファイナンスでいえば会社倒産に例えることができる。倒産は、会社が利害関係者に対して様々な義務を果たせない結果起こる。レバレッジを高め、大きなリスクをとるならば倒産のリスクも高まる。大事なのは、そのような失敗の後である。倒産は再生の始まりでもあり、約束を果たせなかったとはいえ新たなチャンスを与えることも大切である。しかしだからといって、過去の約束を反故にしていいわけではない。倒産をめぐる一連の現象や理論は、私たちの責任に対する姿勢を反映するものであり、人生とはそれほど秩序のあるものではなく、複雑で、義務が衝突するような相反する義務を苦悩しながらどう乗り越えていくのかについての示唆を与えてくれることをデサイは示している。