マルクス式知的生産のレッスン

的場(2018)は、マルクスを学ぶことは総合的な学問の技法を学ぶことにつながるという。さらに言うと、神学とマルクスを学べば理論的な喧嘩には絶対に負けない。鬼に金棒だというのである。何故ならば、基本的に西洋のすべての学問はいったん神学へとさかのぼること、神学は真実を見る道具を作ったこと、そして、この道具を最もよく勉強し、最も抽象的な形而上学として現実の経済や政治に移し替える方法論を開発したのがマルクスだからである。見えるものを抽象化し、それを運動法則と捉えて一般化し、なぜそうなるかという問題に思いを馳せ、悩み苦しんだ結果として、人類の英知があるわけだが、このように、溢れる情報を抽象化し、流れを読み、矛盾を見抜くことで、何が世界を動かしているのかを理解するのに最も役立つのが、神学とマルクスだというわけである。以下では、マルクスに焦点を絞ってこの点を掘り下げて説明する。


まず、物事の本質をつかむためには抽象化が欠かせない。マルクスは、この世界にあるコップや机などは物質であるが、資本主義社会に存在するすべての物質は「商品」という形をとって現れるという。ここでいう商品そのものは頭の中の抽象物であり、1つの概念である。そして、唯物史観に基づくと、私たちがいま生きている資本主義という社会構成体の本質は「資本の自己増殖運動」である。つまり、資本主義とは絶え間なく利潤を追求する社会だということである。さらに、世界史というものが、個々の事象が別個に起こっていることを説明するのではなく、ある1つの動きが全体を包括し、今まで各国史だったものが崩壊し、1つの世界に包摂されていく過程を理解する学問、言い換えれば、世界の出来事を1つの全体の運動とみることで歴史の流れを知る学問だとするならば、世界史は資本主義が生み出した概念なのであり、世界史を引っ張っているのは資本の力だと的場は指摘するのである。


例えば、近代以前では、非常にローカルな地域で、生産力と生産諸関係が動いていたのに対して、資本主義はその地方性を打ち砕いたと的場は解説する。資本主義はそもそも市場の拡大を図り、より多くの利益を得ることを目的とするのだから、資本の自己増殖運動は地域性を超え、一気に世界へと飛躍し、世界市場を取り込むことで「世界史」を作ったのだというのである。資本主義は国内市場を超えて世界とつながっていき、強い者が弱い者を押さえつけ搾取し、貧富の差が拡大する。そうすることで世界市場が拡大し、市場の拡大によって生産力が増大するというように、1つの世界ができあがっていき、世界の歴史が1つの流れとして進んでいくというわけである。今現在も資本の論理は貫徹している。もちろん、世界はもっと複雑だが、マルクスは歴史に1つの傾向があることを捉えて、世界の複雑な傾向の全体を俯瞰するための1つの方法を提示しているということである。


また、世の中で本質的なものは歴史的なものであり、1つの完結したものとしては捉えられない。マルクスは、歴史的な変転・流転を捉える方法として弁証法を用いていると的場はいう。そもそも弁証法は、キリスト教神学が鍛え上げてきた思考法をヘーゲルが体現し完成させた「精神の自己運動」すなわち精神が次の精神を生むという新しい思想が出現する運動である。これは物質界の様々な問題を捨象したところに成立する精神界の過程であるわけだが、マルクスはこの弁証法を物質的世界と結び付け、人間はもともと精神世界を持ってはおらず、それは物質的世界の生産力の発展から生まれてきた、すなわち物質界が精神界を作ったのだということを発見し、論理的に体系化したのだと的場はいう。そこでは、生産諸力と生産諸関係の運動体系の矛盾が限界点に達すると突然別のものに変わるという過程が含まれる。このように、物質界を捨象した精神界からではなく、唯物史観、すなわち物質的世界の変転・流転から革命などの生起を説明する。生産諸力があるところまで行きつくと、変化せざるを得なくなるとういことである。ここでは「世界は内的運動によって動いている」のであり、内的運動の本質は自己矛盾であるということが重要である。


的場はまた、レトリックの重要性についても言及している。そもそも本質を捉えることは、畢竟、どう表現するかということでもある。世界の不可思議な謎を理解するためには、言語を研ぎ澄まさなければならない。修辞学、論理学、文法論といったレトリックが重要な道具だということである。この背後にあるのは、書いてある文章をそのまま言葉通りに受け取らず、メタファーとして読むことで、表面的な文章の意味内容とは異なる隠された意味を解読するような方法である。例えば、古典は、書かれた当時の価値コード体系が現在の価値コード体系とは異なるので、現在の価値コード体系に従って読んでも内容が分からない。つまり、過去の書物や言説で用いられるレトリックは過去の価値コード体系に従っている。よって、価値コード体系が変化した現在の価値コード体系のもとで読むためには、裏読みもしくは新しい読み方が必要である。そのまま読むのではなく、現在の価値コード体系で理解可能な真の意味が隠されたレトリックとして読むというわけである。


以上のまとめとして的場は、世界の本質をつかむためのテーゼを次のように提示する。まず、対象はそれ自身としては認識できないので、対象をいかに抽象化するかがすべてである。そして、何事も変転流転を繰り返す以上、それをつかむには、それを動かす原因をつかまねばならない。実際、運動するものには、必ずそれを動かす矛盾といった内的自己展開の力がある。そうでなければ外から与えられる外的力であることを理解する。さらに、書物や話にあるレトリックに注意し、レトリックの背後にある別の意味を理解する。また、自分の内奥にある自分以外の何かを探すことで、見ている表面的なものの背後にあるものが見えるようになる。