マルクスの思想が到達した「脱成長コミュニズム」とは何か

斎藤(2020)は、最晩年のマルクスが遺した手紙や読書メモなどをつなぎ合わせると、これまで指摘されてこなかった思想の大転換を晩年のマルクスが行っていたことが分かると論じる。どういうことかというと、マルクスは晩年になって、若かりし時代に盟友エンゲルスと執筆した共産党宣言資本論第一巻で展開した史的唯物論に基づく「進歩史観」、とりわけ「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」とは決別し、「脱成長コミュニズム」という理論的大転換を遂げていたのだと主張する。脱成長コミュニズムは、平等で持続可能な脱成長型経済を実現するための考え方である。そして、マルクスが晩年に構想したこの「脱成長コミュニズム」こそが、拡張を続ける経済活動が地球環境を破壊し尽くそうとしている現代に必要な思想なのだという。

 

たしかに、若きマルクスは、「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」に支配されていたことを斎藤は指摘する。例えば「共産党宣言」では、資本主義の発展は生産力の上昇と過剰生産恐慌によって革命を準備してくれると考えていた。だから、社会主義を打ち立てるために、資本主義のもとで生産力をどんどん発展させる必要があると考えていた節があるという。つまり、資本主義がもたらす近代化と生産性の上昇が将来の社会で人々を豊かになる条件を提供することで最終的に人類の解放をもたらすというように、人類社会にとっては過渡期としての資本主義が必要不可欠であるという考え方で、これが単線的な進歩史観であり「生産力至上主義」である。そして、この思想の背後にあるのが、ヨーロッパが時代の先端を走っており、ほかのあらゆる地域も西欧と同じように資本主義での近代化を進めなければならないとする「ヨーロッパ中心主義」である。

 

上記のような唯物史観進歩史観が維持される限り、マルクスの思想は時代遅れであり、資本主義が自然環境を破壊し人類を滅亡に導く可能性すらある現代の社会問題の解決には適用不能ということになってしまう。しかし斎藤によれば、マルクスは後期になってこの考え方を修正し、「労働」が「人間と自然の物質代謝」を制御・媒介することを含む資本と環境の関係を鋭く分析していたのだという。この関係性のもとでは、資本が自らの価値を増やすことを最優先するため、人間も自然も徹底的に利用することで、人類社会に対する適度な豊かさの提供をはるかに超えるかたちで人間と自然の物質代謝を大きく攪乱し、長時間の過酷な労働による身体的・精神的疾患や、自然資源の枯渇や生態系の破壊を招くという帰結につながるわけである。だから、資本主義は物質代謝に「修復不可能な亀裂」を生み出すことになるとマルクス資本論で警告したと斎藤は指摘する。つまり、資本主義は、人間と自然の物質代謝を持続可能な形で管理することを困難にし、社会がさらに発展するには足かせになるというわけである。

 

マルクスは「ヨーロッパ中心主義」からも決別したと斎藤はいう。生産力の発展こそが人類の歴史を前に進める原動力であるとする生産力至上主義は、ヨーロッパ中心主義を正当化していたのだが、資本主義のもつ生産力が物質代謝を攪乱し、修復不可能な亀裂を世界規模で深めるという後期の思想は、生産力至上主義を捨て、よってヨーロッパ中心主義も捨てることになったわけである。とりわけ晩年のマルクスは、非西欧、前資本主義の共同体から社会変革の可能性を学ぼうとしていたという。例えば、晩年のマルクスは、複線的な歴史観を受容するようになり、単線的な進歩史観に依拠した「革命の単一的なモデル」を拒否したという。社会主義へと至る経路は、西欧の発展モデルに限定されないばかりか、マルクスの考えるコミュニズム自体が大きく変貌したことを斎藤は指摘する。つまり、生産力至上主義とヨーロッパ中心主義を捨てた晩年のマルクスは、西欧資本主義を真に乗り越えるプロジェクトとして「脱成長コミュニズム」を構想する地点にまで到達していたのだと斎藤は指摘するのである。

 

つまり、晩年のマルクスは、持続可能性に関心を向け、自然科学研究とりわけエコロジー研究と共同体研究に没頭していたと斎藤は指摘する。「資本論」以降のマルクスが着目したのは、資本主義と自然環境の関係性だったのであると。その結果、持続可能性と社会的平等が綿密に連関していることにマルクスは気づいたのだという。マルクスは、自分の理論的転換があまりにも大きすぎたために、死期までに「資本論」を完成させることができなかった。決して資本論の辛い執筆から趣味の読書に逃避していたのではなく、進歩史観を捨て、新しい歴史観を打ち立てようとする血の滲むような努力の過程であったのだと斎藤はいうのである。では、持続可能性と社会的平等を重視する「脱成長コミュニズム」とはどのようなものなのだろうか。

 

マルクスによれば、資本主義は自然科学を無償の自然力を絞り出すために用いる。その結果、生産力の上昇は自然の掠奪を強め、持続可能性のある人間的発展の基盤を切り崩す。そう批判するマルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を<コモン>として持続可能に管理することであった。そして、自然と人間の物質代謝に走った亀裂を修復する唯一の方法は、自然の循環に合わせた生産が可能になるよう、労働を抜本的に変革していくことだということを示唆した。具体的には、「使用価値経済への転換」「労働時間の短縮」「画一的な分業の廃止」「生産過程の民主化」「エッセンシャル・ワークの重視」である。これらが「脱成長コミュニズム」の柱となる。グローバル化された資本主義が人類の生存そのものを脅かす新人世の危機に立ち向かうため、未完の『資本論』を、「脱成長コミュニズム」の理論化として引き継ぐような大胆な新解釈にこそ今取り組むべきだと斎藤は主張するのである。

文献

斎藤幸平 2020「人新世の「資本論」」(集英社新書)