時間とはなにか−物理学による答え

松浦(2017)は、時間とは何かという深淵な問いに対して、物理学の発展の歴史を紐解きながらそれに対する回答を解説している。時間は、直感的に考えると、方向性をもって過去から未来へと流れるもののように思える。しかし、松浦によれば、そもそも時間をどのように測るかといえば、時計に代表されるように、物体の動きに基づく何らかの周期を基準としている。ということは、時間とは変化を示すものであり、物体の動きすなわち運動と切っては切れない関係にあることが分かる。そもそも時間が物体の運動を説明するために設けられた概念だとするならば、それは物理学で解き明かすべき対象ということになる。つまり、時間とは何かという問いに対する答えは、物体の運動をどのように理解するかに左右されるというわけである。


まずもって、私たちの社会の中で自然発生したと思われる最も素朴な時間観としては、「時間は物体の存在とは無関係に存在していて、物体の運動はその時間に沿って起こる」というものがあることを松浦は指摘する。これに加え、ガリレオニュートンによって構築された古典的な物理学(力学)によって、「連続した3次元空間の中に、連続した共通の時間が流れている」という古典的時間観が成立したという。宇宙全体の共通の時間が流れていると仮定する「絶対時間」の考え方は、いまだに現代社会に生きる私たちが持っている(信じている)時間概念であるといえる。3次元の絶対空間と絶対時間が存在し、それを基準にして物体の運動を説明できるという仮定である。私たちがこの時間観に固執する原因は、私たちが日常経験する現象は古典的な物理学で十分に理解できると思っているからである。しかしこの仮定を含めて私たちが持つ素朴な時間観は、その後の物理学の様々な発見と新しい理論の構築によって修正されざるを得なくなったことを松浦は示唆する。


まず、時間には方向性があるという時間観に関してであるが、これについて松浦は「カオスによって生じる擬似的な確率現象」に基づくことを指摘している。つまり、時間は物体の動きであり、運動それ自体に方向性を仮定する必要はないのだが、非線形性やカオスという性質を理解するならば、物事の現象には生じにくい状態(低エントロピー状態)と生じやすい現象(高エントロピー状態)があるため、生じにくい現象から生じやすい現象へと時間が流れているように知覚されるのではないかということである。例えば、整然とした状態からランダムな状態に移行する確率は高いが、ランダムな状態から整然とした状態に移行する確率は非常に低いため、これが時間の方向性が非対称的である(いったん起こったことは元に戻らない)という認識につながっているのではないかということである。


つぎに、3次元の絶対空間と絶対時間の存在についての仮定は、アインシュタイン特殊相対性理論一般相対性理論などによって光速度不変の原理が確立されたために否定されることになったと松浦はいう。つまり、絶対なのは空間でも時間でもなく、光速だと仮定することで物理現象がより適切に説明できるのである。光速がどこから観測しても絶対的に不変だと仮定すれば、空間も時間も相対的なものとなり、歪んだり曲がったりする。しかも、相対性理論では、光速は時間と距離の動かざる関係として絶対的に結び付けられるために、物体の運動を理解するためには空間と時間を合わせた時空という考えが必須となり、時間も距離として理解可能になるということなのである。動くと長さが縮む、質量が変化する、時間が遅れるというよなことが観測でも確かめられるようになり、物体の運動を理解するさいに時間と空間を区別して考える必要がなくなった。光速一定のもとでは時間と距離の関係の絶対的に固定されており、空間も伸びたり縮んだりするならば時間も伸びたり縮んだりするわけで、絶対的でなく相対的な時空を動くものとして物体を捉えるのが適切だというわけである。ここに「時間と空間は本来同じもの」であり、この宇宙を形成する根本的な構造の1つの性質であることが明らかになってきた。相対性理論にもとづけば、空間方向への移動や、加速運動として捉えられる重力そのものさえまでも、時間の一側面だと理解できるわけである。


一方、この世を構成する根本原理を追究するミクロな世界の物理学、すなわち量子力学の発展によって、物質も光も力も、電子も原子核を構成する陽子や中性子も、おおよそこの世を構成するあらゆる存在が、波と粒子の二重性という直感の及ばない量子からできていることが明らかになってきたと松浦はいう。例えば電磁場の振動としての波についていうと、絶対的に止まっている電磁場が存在しないため、電磁場は時空に張り付いた時空の一部すなわち「時空の内部構造」といえる存在である。つまり、時空の内部構造の振動が光だというわけである。電子やあらゆる種類の素粒子も同じことであり、時空には素粒子の種類と同じ数だけの内部構造(内部空間)が備わっており、その振動が素粒子だというのである。松浦によれば、私たちが暮らしている時空は、時間と空間の4次元にひろがる空っぽの器などではなく、その1点1点にたくさんの内部構造(内部空間)である量子場を備え、素粒子はその振動である。物質をつくる量子場と力を伝えるゲージ場が調和し共振しあいながら運動しているのがミクロ領域における物質世界の姿である。物質や力、そして私たち自身も時空そのものがもつ構造の発現だということである。


そして現代物理学における「繰り込み」と「有効理論」の枠組みを用いるならば、10のマイナス35乗以下という微小の「プランクスケール」の世界では、原子よりもはるかに小さな世界であるため、物体は原子でできているという常識が意味をなさなくなるのと同様に、一般相対性理論で扱われるような「距離の概念を伴う時間や空間」という構造そのものが意味を失ってしまうと松浦は解説する。つまり、この微小世界では、時間でも空間でもないけれど、繰り込みを実行して大きなスケールでみると一般相対論でいうところの時空になるような「何か」を見つけ出すことが時間とは何かに答える鍵となる。そして、それを解き明かそうとするものとしての「弦理論」を松浦は紹介している。ただし2017年の最先端においても弦理論は発展途上であり、素朴な弦理論で26次元あり、超弦理論でも10次元あるというのが困難の1つであるという。とはいえこの超弦理論が「時空観」にもたらした影響は絶大で、例えば宇宙の始まりや成り立ちを考える際に、宇宙の始まった瞬間には時間でも空間でもない「何か」、すなわち時空や量子場の構造さえ持たない「何か」であったものが、進化の過程で、繰り込みのプロセスによって私たちのスケールでは4次元の時空や物質世界を構成している量子場として発現したのだろうというシナリオが考えられるのだと松浦は説く。時間は1つのDNAのようなものから生み出された空間・物質・力を含む巨大な構造の一部であったと考えられるわけである。