情報化/消費化資本主義の臨界

見田(2017)は、20世紀後半から現在にかけては、「近代」という加速する高度成長期の最終局面であることを示唆するが、この最終の局面の拍車の実質を支えていたのが、1927年の歴史的な「GMの勝利」を範型とする「情報化/消費化資本主義」というメカニズムだという。見田によれば、プレGMの勝利の時代では、古典時代の資本主義において、消費市場需要に対応して規格化された大量生産と低価格化された堅牢な大衆車を普及されるという「生産というシステムの王者」であるフォードの時代でもあった。しかし、この方法は、自ら市場を飽和させてしまい、恐慌を生み出すといった古典的資本主義の限界を内包していた。

 

一方で、GMは、「自動車は見かけで売れる」という信条のもとで「デザインと広告とクレジット」という情報化の諸技法によって車をファッション商品に変え、買い替え需要を開発するという仕方を発明したことによって、市場を「無限化」したのだと見田は指摘する。つまり、「情報化/消費化資本主義」というのは、情報による消費の自己創出すなわち消費市場を自ら作り出すというシステムの発明によって、かつて「資本主義の矛盾」と呼ばれた恐慌の必然性を克服し、社会主義との競合に勝ち抜き、20世紀後半30年あまりの未曽有の物質的繁栄を実現したシステムだというのである。

 

しかし見田は、情報化/消費化資本主義の範型でもあったGMが2008年のサブプライムローンの問題を契機として突然の危機と暗転を迎え、人間の少なくとも物質的な高度成長期の「究極の形態」であるこの資本主義システムの「限界」を露呈することとなったというのである。それはなぜかというと、情報化/消費化資本主義の発明により、消費の無限拡大と生産の無限拡大の空間を開くことで資本主義の矛盾をみごとに克服することに成功したのだが、この「無限」に成長する生産=消費のシステムは、その生産の起点においても消費の末端においても、資源の無限の開発=採取を前提とし環境廃棄物の無限の排出を帰結するシステムであるからである。

 

資源や環境は現実には有限であるが、情報化/消費化資本主義では、有限性に到達しても、資源を「域外」から調達し、廃棄物を海洋や大気圏を含む「域外」に排出することをとおして、環境容量をもう一度無限化することができたのである。しかし、このグローバルなシステムは、グローバルであるがゆえに、もういちど「最終的な」有限性を露呈することとなったのだと見田は論ずる。グローバル・システムは球のシステムであるから、どこまでいっても障壁はなく無限に見えるが、それでも1つの閉域でであって地球に域外はないのだというのである。

 

つまり、見田によれば、グローバル・システムとは、無限を追求することをとおして立証してしまった有限性に他ならない。サブプライムローン問題に端を発する2008年の「GM危機」は、 情報化に情報化を重ねることによって構築される虚構の「無限性」が、現実の「有限性」との接点を破綻点として一気に解体するという構図を見ることができたわけで、1929年の世界恐慌ほどには悲惨な光景を生まなかったにせよ、ほんとうはもっと大きな目盛の歴史の転換の開始を告げる年として後世は記憶するだろうと見田は指摘する。

文献

見田宗介 2017「社会学入門: 人間と社会の未来(改訂版)」(岩波新書)