歴史の物語り論とは何か

野家(2016)は、歴史学の方法あり方について、自らの立場としての「歴史の物語り論」を紹介している。ここでいう「物語り(narrative)」とは、ある出来事を別のものと一緒にし、またある出来事を関連性に欠けるとして除外するような、出来事に負荷された構造として説明している。言い換えるならば、物語りの機能は、複数の出来事を関連づけ、統一的な意味を与えるコンテクストを設定することであり、物語り文を作ることは、先行する出来事を後続する出来事と関連づけて意味付与を与える作業である。ある出来事は単独で歴史的意味を持つことはできない。その後に起こった別の出来事と関連付けられてはじめて歴史的意味を獲得する。その関連づけの時間的コンテクストを用意するものが物語り行為なのだと野家はいう。


ここで重要なのは、歴史の物語り論では、「歴史的出来事は物語り行為によって構成される」という考え方に依拠している点である。ここでいう「構成」とは、「存在するものの意味と妥当性を算出すること」「意識が志向する対象に意味を付与すること」である。この考え方が前提とするのは、いっさいの記述から独立した「裸の」あるいは「生の」歴史的出来事はありえないということである。つまり、すべての出来事をくまなく見守っている「神の視点」や「理想的年代記作者の視点」から、歴史記述から独立した、切り離された歴史的出来事の存在を主張する「素朴実在主義」の立場を取らないということなのである。世界についての「唯一の真なる記述」は存在せず、歴史的出来事が、われわれの言語活動から独立して客観的に実在するということはありえないということに等しい。


野家は、過去の出来事は知覚することはできないため、過去の実在の意味は「物語り」のネットワークの中でのみ与えられるという。つまり、過去の出来事はわれわれには知覚できないがゆえに、その「実在」を確証するためには、発掘や史料批判といった作業が必要になるというわけである。そこに「想起」や「物語り行為」が関わってくるのである。想起は記憶に頼ることになるが、史料や物的証拠は、外部記憶としての痕跡と考えられる。野家によれば、この考え方は、自然科学における実在の考え方と共通している。つまり、歴史的出来事の実在の考え方は、例えばミクロ物理学における「素粒子」の実在と考え方は類似しているということである。素粒子は人間には知覚できず、知覚できるのは、実験などで確認される素粒子運動の「痕跡」にすぎない。しかし、素粒子の実在は、物理学的理論の支えと実験的証拠の裏付けによって与えられる。素粒子の実在は、背景となる物理学理論のネットワークと不即不離なのである。歴史的出来事についても、この世に生じた出来事は、「過去物語り」すなわち「間主観的記憶」のネットワークの中に整合的に組み入れられてはじめて「過去にあった」出来事となる。


ここで「理論的存在」が鍵概念となる。理論的存在とは、その実在性を保証する理論体系が常に用意されていることを意味している。例えば、素粒子の存在は物理学理論によって、大学の存在は設置基準のような「社会制度」によって、過去の出来事の存在は「歴史的物語り」によって支えられているということである。つまり、素粒子は、公認された理論と実験などの証拠によって支えられる「理論的存在」であり、歴史的出来事も、公認された物語りと史料などの証拠によって支えられる「物語り的存在」であるといえる。また、ここでいう「理論」も「物語り」も、絶対的な真理ではなく、現在公認されたものという意味であり、将来別のものに置き換わる可能性を常に持っている点でも共通している。それに応じて、物理学の世界では「フロギストン」の実在が否定されたり、日本史では、神武天皇の実在が否定されたり鎌倉幕府の成立が1192年から1185年に変わったりするわけである。


そして、素粒子の実在を支える物理学理論や、歴史的出来事の実在を支える過去物語りの妥当性を支えるのが「合理的受容可能性」だと野家はいう。歴史学における「合理的受容可能性」は、手に入る限りの文書史料や発掘史料を「過去の痕跡」として読み解き、それらを整合的に組み合わせて合理的推論を積み重ねながら、受容可能な「物語り」を紡ぎだすという作業によって担保されると考えられる。そしてそれは、過去と現在とを時間的連続性の中で矛盾なく接続する「通時的整合性」と、過去の出来事がそれと同時代の人々の証言や物的証拠と矛盾しない「共時的整合性」という2本の座標軸として捉えることができる。よって、歴史の物語り論は、歴史が主観的につくられたストーリー(架空の物語)であって、文学と同じようなものだと主張しているわけではない。過去物語りは人類が数千年かけて営々と紡ぎだしたものであり、公認の手続きによって「間主観的」に構成されてきたものである。よって、それは歴史的出来事の実在を支える一種の社会的制度だといえるのである。