なぜ超弦理論では空間が9次元なのか

大栗(2013)は、素粒子理論の最先端でもある超弦理論(あるいは超ひも理論)を、その歴史的背景も含め、分かりやすく解説している。超弦理論は、物質をつくっているのは粒子ではなく、「ひも」のように拡がったものであると考える理論で、重力の働きによって空間や時間が伸び縮みすると考えるアインシュタイン一般相対性理論と、ミクロな世界の法則を記述する量子力学との間にある深刻な矛盾を解決する理論として提案されたものである。まだ実験や観測によって十分に検証されてはいないが、素粒子について記述する究極の統一理論の最有力候補として期待されているという。


大栗によれば、超弦理論で物質の基礎を「弦」(ひも)と考えることで素粒子論が抱える問題を解決する鍵になるポイントがいくつかある。そのような問題の1つに、物質の基礎を粒子(点)だとする素粒子論では、エネルギーや質量が無限大になってしまうケースが出てきてしまうという問題がある。これは、点は部分を持たないものであるという特徴に由来している。また、素粒子論では、素粒子の間に働く複数の力の中に重力が含まれていないため、重力を説明できない。前者については、「くりこみ」という方法により無限大の問題を別の次元(より小さなミクロの世界)の問題に先送りすることができたのだが、重力を考慮したとたんに「くりこみ」による先送りができなくなってしまうという。大栗は、物質の基礎を弦と考えることで、無限大の問題を解消するとともに、重力を扱うことができるようになることを示唆するのである。


さらに、現代の素粒子論では、物質の基礎としての素粒子が17種類あり、大きさをもたない点状の粒子なのに、そんなにたくさんの種類があるのは不思議である。これに対し、超弦理論では、すべての素粒子を一種類の弦で説明することができるという。つまり、バイオリンの弦がその振動状態によってさまざまな音を奏でるように、素粒子の弦にもさまざまな振動状態があり、すべての素粒子がその振動状態から現れると考えるのである。そして、ここからが本題であるが、これまでの多くの物理理論では、古典力学ニュートンの方程式であれ、電磁気力のマクスウェルの方程式であれ、重力のアインシュタインの方程式であれ、次元の数を選ばず、どんな次元の空間でも設定可能であったのに対し、超弦理論では、このような特徴をもつ弦を扱う空間を9次元として扱うのである。つまり、超弦理論では、9次元の空間しか許さないというように次元の数が決まるという、物理法則としては前代未聞のものだと大栗は論じるのである。


ではなぜ、超弦理論では空間が9次元なのか。その理由は、他の物理学理論では次元をいくら増やしても理論として矛盾しない構造になっている(よって3次元空間に当てはめるのは便宜的)のに対し、超弦理論では9次元でないと理論が矛盾するようにできているからである。そしてその仕組みの鍵は、なんと数学におけるオイラーの公式にあると大栗はいう。ここで大栗が指し示すオイラーの公式とは、1+2+3+4+…と整数を足し続けるとそれが-1/12に収束するという驚愕の式である。正の整数を無限大に足し合わせていくと負の数になるという信じられない式であるが、この式が超弦理論が9次元であることを示すのに活躍するわけである。


大栗の説明をかいつまんで記述すると次のようになる。まず、光子に相当する弦のエネルギーについて考える。弦の振動状態を考えるときに、弦のゆれる方向の振動パターンの数が次元数から進行方向を差し引いた(次元数-1)となり、それぞれの方向の最低エネルギーが周波数(自然数)の節の数としてあらわされるため、1+2+3+4+…となる。よって、弦全体の最低エネルギーは、すべてを重ね合わせることで(次元数-1)×(1+2+3+4+…)となる。そして、光子に相当する弦の最低エネルギーは、それに振動を起こすために必要な2を足したものになる。これが特殊相対性理論とつじつまが合うためには、光子の質量(=最低エネルギー+振動エネルギー)がゼロでなければならない。しかし、2も次元数-1も負の数にはなりえないため、矛盾しないためには(1+2+3+4+…)が負の数でないといけない。そこで先ほどのオイラーの公式(1+2+3+4+…=-1/12)が登場するわけである。計算の結果、次元が25次元の場合にのみ、光子の質量がゼロになる。よって、超弦理論の前の「弦理論」においては次元数が25になり、超弦理論では、別の重要な条件を加味することによって9次元に決定されたわけである。


上記のとおり、超弦理論では、9次元の空間で考えないとつじつまが合わないように理論が構築されているわけだが、次元を「コンパクト化」することにより、3次元空間の理論としても扱うことができるという。つまり、ある数学的に存在する6次元空間(カラビ=ヤウ空間)を使って9次元空間をコンパクト化することによって、3次元空間の性質やその中の素粒子模型がうまく説明できるというわけである。しかし、カラビ=ヤウ空間にはいろいろな種類があり、その中からなぜ特定の空間がコンパクト化に適しているのかは不明であった。それについて、超弦理論の形成に寄与した1984年の第一次超弦理論革命や1995年の第二次超弦理論革命を経て超弦理論が発展する過程で、ウィッテンによって10次元の超重力理論が生みだされ、私たちの空間概念を根本から覆すことになったと大栗はいう。その驚くべき発見とは、10次元の超重力理論は、9次元の超弦理論において素粒子間に働く力(結合定数)の量を次元として加えたものだというである。このことから、特定の次元における結合定数が大きくなると理論が複雑化していくが、実はそれは次元が1つ増えた簡単な理論に置き換えることが可能だということが分かったのである。


このことから大栗は、「空間」というのは実は私たちにとって根源的なものではない可能性を示唆する。つまり、私たちが普段経験する暑さや寒さ、熱さや冷たさといった「温度」が実は幻想であって、根本的には分子のエネルギーに還元されることが分かったのと同様に、私たちがふだん3次元だと思って慣れ親しんでいる空間も実は幻想であり、より基本的なものから導き出される二次的な概念にすぎないかもしれないということである。ニュートン力学においては空間は絶対的なものであり、物理的現象の外側にある入れ物であった。アインシュタイン相対性理論では、空間は絶対的なものではなく、曲がったりゆがんだりするものとなった。そして超弦理論では、空間は根源的なものではなく、もっと基本的な何かから導き出されるものである可能性があるというのである。そして時間についてもそれは絶対的なものではなく幻想である可能性を大栗は指摘するのである。


大栗博司 2013「大栗先生の超弦理論入門」(ブルーバックス)