人間は本質的に狩猟採型集動物である

鈴木(2013)によれば、進化論的に人間がチンパンジーと共通の祖先から分かれたのは600万年ほど前で、その後、身体や心的機能が独自の進化を遂げ、数万年前のホモ・サピエンスになってから現在まで人間の基本的性質はほぼ変化していないという。例えば現代の人骨と3万年前の人骨では解剖学的に差が認められない。つまり、現在の私たちは、数万年前にはすでに出来上がった身体的特徴を持ち、同じ脳(心)の働きを有しているといえる。


そこで重要なのが、600万年前から数年前までの間、人間は狩猟採集生活を延々と繰り返し、環境に適応しながら進化してきたということである。言い換えれば、人間は、適者生存プロセスを通じ、数万年前までに狩猟採集生活を送るのに最も適した姿になった、そして今もそうだということである。つまり、現代の私たちの身体的特徴や心的機能は、狩猟採集に最も適したものとなっており、私たち人間の本質は、狩猟採集方動物だというわけである。現代文明につながる農耕生活はごく最近発生したものにすぎないのである。


よって、私たちの身体的特徴、モノの見方・考え方は、本能的に狩猟採取に適したものとなっている。鈴木によれば、モノを投げたり走ったり、長距離を歩ける身体能力や正確な地理感覚、方向感覚などは、狩猟に適したものとして進化した特徴である。速く走ったりマラソンをするときに快楽を得られるのは、人間が狩猟採取でつねに地球上を駆け回ることに喜びを感じるために進化した心的機能だといえる。今の子供たちが何気なく「かくれんぼ」や「ダルマさんが転んだ」のような遊びをするのは、狩猟で獲物を捕獲する際に獲物に見つからないようにするための訓練の名残で、子供がそういう行為を面白いものと感じるように進化した結果と解釈できる。


鈴木は、相手の心を読む能力も、狩猟に関連して動物の行動習性を読むことが必要とされたがゆえに発達した能力であることを示唆する。人間は一般的に動植物に対して強い関心を持っているが、それも狩猟採取生活で生き延びるために必要な能力である。人間が得意とする周到な計画と準備、チームワークなども、狩猟採取民として進化した結果である。


現代に暮らす私たち人間は、過去に狩猟と採集がよくできた者たちの子孫である。であるから、狩猟採集に近い活動は、私たちが生得的に持っている能力を最大限に発揮することになる。そういったことを肝に銘じておくことは重要であろう。