人間ではなくアルゴリズムが支配する未来

近代から現代にかけて、人類は自らの想像力の産物でもある「神による支配」を覆し、人間の命と情動と欲望を神聖視する「人間至上主義革命」を引き起こしたといわれている。人間至上主義の一環として派生したのが、自由主義社会主義、進化論的人間至上主義である。しかし、ハラリ(2018)は、これらの人間至上主義も未来には終焉を迎え、データ至上主義に移行するのではないかという可能性を示唆する。しかもそれは、神による支配を覆すきっかけをつくった科学やテクノロジーのさらなる発展によってもたらされることを示唆するのである。そのキーワードが「アルゴリズム」である。


ハラリによれば、現代科学の発展による人間理解は、私たちには自由意志があるというような自由主義(人間至上主義の1つ)の信念を崩すだけでなく、個人主義の信念も崩しつつある。また、近年のテクノロジーの発展は、意識を持たない知能(人工知能)の優位性を証明しつつある。このような文脈で重要な概念がアルゴリズムなのである。アルゴリズムとは、計算をし、問題を解決し、決定に至るまでに利用できる、一連の秩序だったステップのことをいう。例えば、情動は生化学的なアルゴリズムで、すべての哺乳動物の生存と繁殖に不可欠なものとして捉えられる。アルゴリズムは、私たちの世界で間違いなく最も重要な概念だとハラリはいう。


意識を持たないアルゴリズムには手の届かない無類の能力を人間はいつまでも持ち続けるというのは希望的観測にすぎないことを現代科学が示しているとハラリはいう。実際、現在の生命科学では、生き物はアルゴリズムであり、ホモ・サピエンスを含め、あらゆる動物は膨大な歳月をかけた進化を通して自然選択によって形作られた有機的なアルゴリズムの集合にすぎないと考えるのだという。そして重要なことは、アルゴリズムの計算は計算機の材料には影響されないということだ。つまり、人間や動物のような有機アルゴリズムにできることは、非有機的なアルゴリズムでは再現できないとは言い切れない。計算が有効であるかぎり、アルゴリズムが炭素の形をとっていようとシリコンの形をとっていようと関係がないのではないかというわけである。


生き物=アルゴリズムであるといえるのであれば、生命=データ処理だということもできる。このような考えを支持するのがデータ至上主義であり、これが現代の科学界の主流をおおむね席巻しているとハラリはいう。データ至上主義では、森羅万象がデータの流れからできており、どんな現象もものの価値もデータ処理にどれだけ寄与するかで決まるとされているという。データ至上主義の観点に立てば、人類全体をも巨大なデータ処理システムとみなし、歴史全体を、このシステムの効率を高める過程と捉えることができるという。データ至上主義によれば、人間の知識や知恵は信頼できるものではない。人間はもはや膨大なデータの流れに対処することはできないため、人間の脳の処理能力よりもはるかに優れている電子工学的アルゴリズムなどに任せるべきだということになる。


データ至上主義のもとでは、人間は、神性を獲得するほどにこの宇宙の頂点に立つもっともすぐれた生き物であるとはいえないことになる。人間個人は、誰にもよくわからない巨大なシステムの中の1つのチップであり、デジタル機器やテクノロジーを生活を便利にするために使いこなしている人々、様々なデータをSNSやネット上に記録し蓄積しているような人々は、この世界のデータフローの一部になりたがっているとさえいえる。こう考えると、膨大なデータ処理によって人間よりも人間のことをよく理解することができる「アルゴリズム」こそが、人間の上に立つことになる。将来、認知的肉体的限界を持つがゆえに必ずしも正しい判断や行動ができない人間は、政治・経済・科学・技術などあらゆることを、人間よりも信頼性の高いアルゴリズムに任せるようになるかもしれない。頂点に君臨するアルゴリズムの指示や助言に従って動くのが人間の将来の姿なのかもしれないのである。