アメリカ合衆国の本質

アメリカ合衆国の本質を知るためには、建国当時にまで歴史を遡ってみるのがよい。橋爪(2013)によれば、アメリカ合衆国の基礎となったニューイングランドに入植したのは、英国国教会の改革を訴えたものの弾圧されたピューリタンであった。彼らがこの地を目指したのは、聖書に「約束の地」という考え方があったからである。ピューリタンたちは、北米を「神が自分たちに与えた約束の地だと考えた。そこに、安心して自由な信仰の生活を送れる国を作ろうとした。つまりアメリカ合衆国は、自由な信仰生活のためにつくられたのであり、宗教(キリスト教)の影響を強く受けた国だといえる。


橋爪は、ピューリタンの特徴として、「徹底した個人主義」と「徹底した人間不信」を挙げる。徹底した個人主義である理由は、人々にとって大切なのは神との関係のみで、誰もが神の前に立ち、神に忠実でなければいけないと考える。そして、神に対する絶対的な信頼の裏返しとして、徹底した人間不信という帰結になる。神以外は誰も信用しないということである。


このような考え方をする人たちによって建国されたアメリカ合衆国では、人々は心から信頼する共同体を作ることはできず、人間と人間は法律によって関係することしかできなくなり、法の支配する国となり、弁護士が大勢いて裁判だらけの国になったのだと橋爪は示唆する。一方、これは、法に触れない限りは何をしてもよいという解釈にもつながるので、とても自由な社会で、権利が守られている国であるといえる。しかし、信仰の自由が建国の精神であるので、それが実現されていれば、社会保障の制度が手薄でも、年金や保険が未整備でも、貧乏人が困窮しても、たいした問題ではないというようにつくられたのだと橋爪は説く。


橋爪によれば、アメリカ合衆国の人々にとって最も大切なのは神で、神が大事だというから愛や契約を重視する。隣人愛もそうである。経済においては、市場でみんなが欲しがるものをつくればつくるほど隣人愛を実践することになる。そして市場価格は「神の見えざる手」で決まり。その結果として富が蓄積されれば、それは貯蓄し、再投資に回り、それを繰り返す中で大資本化が生まれる。大資本家が得た利益の一部を教会や慈善事業に寄付する。アメリカではヨーロッパのような社会階級がないので、社会階級の上昇ができる。成功は神の恵みを受けているという意味なので本人のプライドにもなる。ゆえに、成功が人生の目標になるのだと橋本は解説する。


政治についても、神の権力が永遠であるから、政治家の権力は有限でなければならないと考えるという。ただし、政治権力は必要だと考え、政治家に権力を集中させることは正しいとアメリカ人は考える。正義のために政治権力はあると聖書に記載されているからである。だからこそなるべく適切な人にそのポストを預けようとする。選挙は民意であるが、そこに神の意志が働いていると考えるため、選挙で選ばれた人を信頼し、その人に従うという。政治家は任期が来ればポストから離れ、一般人になるのである。