未来からやってきた数学理論「宇宙際タイヒミュラー理論」とは何か

宇宙際タイヒミュラー理論(Inter-Universal Teichmüller Theory: IUT理論)とは、京都大学望月新一教授が整数論の非常に難しい予想問題である「ABC予想」に関連して発表した理論で、一般的な数学のパラダイムの枠内では語れない、あまりにも斬新なものであるがゆえに、2012年における600ページを超える論文の発表以来、いまだに数学界の専門家集団をもってしてもその真偽を判断できておらず、正式なジャーナルにもアクセプトされていない、すなわち公式に認められていない理論だとされている。加藤(2019)は、このIUT理論をできるだけわかりやすく一般読者に解説しようと試みているが、この理論が数学界に受け入れられるまでには10年~30年かかるだろうと予想している。


加藤によれば、望月教授のIUT理論は、「斬新で深遠な発想によって、数学の世界に革命を起こそうとしている」「おそらく数学史上も匹敵するものを見出すことが難しいほどの、巨大な影響力をもつイノベーションを起こそうとしている」「従来の数学が相手にすることができなかった、数学の根本的なところにある問題に、新しい光を与えようとし、・・・凄まじい影響力と破壊力を持っている」ものでありながら、実はそれが、誰もが知っている「たし算」と「かけ算」という根本的な概念の絡み合いを捉えなおすというものであり、かつ、数学の専門家でさえ理解できない、というものなのである。まさに、誰も理解できない「未来からやってきた新しい数学」といえるのだが、そんな凄い数学の理論とはいったいどんなものなのだろうか。以下では、そのようなIUT理論の概要について、無謀な試みではあるが加藤による分かりやすい説明をさらに要約することで雰囲気のみをなんとなく理解してみたいと思う。


まずは、IUT理論の特徴の1つである「たし算」と「かけ算」を分離するとはどういうことなのかについて見ていこう。一見何をいっているのかわからないこの特徴についての加藤の解説によれば、ABC予想に代表される整数論において、素数が絡むような「小学生でも理解できるがトップクラスの数学者でも解けないとてつもなく難しい問題」の多くが、「たし算」と「かけ算」が複雑に絡み合っていることを特徴としている。そもそも数においては、それが固有に持っているたし算的な性質とかけ算的な性質が分かち難く結びついてしまっており、その結びつきの強さがかえって、ABC予想という問題を難しくしているのだというのである。


実際、加藤によれば、自然数という数学でもっとも基本的な対象における「たし算とかけ算の関係」というのは、複雑すぎてよくわからない。ある意味、整数論の難しさや深さのすべてが、この「たし算とかけ算の関係」に由来しているといってしまっても過言でないという。人類は「たし算とかけ算の絡み合い」によって生じている多くの問題をまだ解くことができない、人類の中で誰も完全には理解していないとさえいう。したがって、IUT理論では、ABC予想のような、簡単そうな見かけにも関わらず非常に難しく、数学的にもとても深遠な問題を解くために、「たし算とかけ算の絡み合い」を解いて、その間の関係を明らかにすることで、数の世界の深奥の秘密の一端を明らかにし、素数などの自然数に関する深い問題の数多くを解決するためのもっとも基本的な本質的な道筋を示そうということなのである。


では、IUT理論は、たし算とかけ算の関係に対してどのようにアプローチしようとしているのか。このアプローチの方法が、これまでの数学とはまったく異なる、それゆえに(本人以外)まだ誰も完全に理解できていないと思われるIUT理論の特徴を示しているといえる。それを示すのが、宇宙際タイヒミュラー理論の「宇宙際(inter-universe)」という言葉である。数学の宇宙あるいは舞台とは、そこであらゆる活動や思考を行う舞台であり、我々が数学をする上での「数学の一式」とでもいえる。別の言い方をすれば、我々にとっての数学のすべてである。


我々にとって、数学とはいつでも1つの学問であった。つまり、数学の宇宙は1つであった。1つの「数学」という学問としての統一体であったわけである。であるから、数学の研究をする場合も、その1つの数学の宇宙の中で作業をしてきたわけで、そのこと自体を特に意識することもなかった。しかし、IUT理論は、この「数学一式」を複数考えて、それら「舞台」あるいは「宇宙」の間の関係について論じるという、今までの数学の歴史にはなかった、まったく新しいやり方を提案する。複数の数学の舞台(宇宙)を想定することで、たし算とかけ算を別々に扱っても矛盾が起こらないような状況を実現しようとする。1つの舞台(宇宙)で数学をすると、たし算とかけ算を別々に扱うことができない。お互いが分かち難く結びついていて、しかも複雑に絡まりあっている。であるから、それを安直に分離しようとすると、たちまち矛盾が生じてしまう。よって、IUT理論では、そのような矛盾が起こるのを回避するために、複数の舞台(複数の数学の宇宙)で作業するのである。


では、IUT理論では異なる数学の宇宙の関係をどのように理解しようとするのか。異なる数学の宇宙もしくは舞台をつなぐのが、数学の群論を用いた「対称性通信」であると加藤は解説する。IUT理論では、対称性を伝達することで、異なる宇宙(舞台)間の通信を成立させ、それらの間の関係性を構築しようとするのだという。その際、ある数学の宇宙が、別の数学の宇宙から受信した対称性から対象を復元しようとする際に生じる復元の不定性を定量的に計測し、これを実現したい不等式の成立に用いる。そしてこのプロセスはABC予想の証明にもつながってくる。つまり、「伝達・復元・ひずみ」が、宇宙間通信の特徴だと加藤は指摘する。


以上をまとめると、IUT理論は、従来の数学と抜本的に異なる史上初の試みを提案し、それまでの数学の常識を超えた、新しい柔軟性を実現しようとしている。すなわち、たし算とかけ算が絡み合っているがゆえに解けない様々な問題について、「たし算とかけ算を分離して、互いに独立のものとして、別々に扱う」ことで新たな柔軟性を作り出すというアプローチをとる。そのために、これまでにはなかった複数の宇宙を想定する。これは普通の数学には決してできないことを可能にすることを目指しているわけで、そういうことを可能にするための、人類の数学全般に対する一種の提案なのだと捉えることができると加藤は指摘する。これがIUT理論が数学に提案する、非常に重要な発想の転換であると加藤はいう。