自然科学としての言語学

言語学は、文学部などで学ぶ分野であって、どちらかというと文科系の学問であると従来から考えられている。しかし、酒井(2019)は、自然科学としての言語学を始めた確立した人物としてノーム・チョムスキーをとりあげ、チョムスキーの理論に基づく言語脳科学を紹介している。チョムスキーの理論の根底には、言語機能は人間の脳の生得的な性質に由来するという前提がある。そもそも人間は、言語を扱う生得的な脳機能を有している点で、他の動物と、サルとでさえ、本質に異なっていると考える。それは、人間が猿と共通する祖先から枝分かれした後に独自に進化の過程で身に着けたものであるから、決して現在の猿の脳と人間の脳とは連続しているわけではなく、猿の研究をいくらしても人間の言語機能は理解できないと主張するのである。


では、チョムスキーによる自然科学としての言語学とはどのようなものであろうか。たしかに、世界中には様々な言語があり、それぞれ、異なる語彙、文法に従っており、異なる歴史的背景や文化的背景とも関連している。これらを現象論のレベルで詳細に研究する人文学的な言語学を、チョムスキーは「蝶々あつめのようなもの」と評する。これは、自然科学者の視点から見れば、葉っぱや石ころや紙ヒコーキの動きを、それぞれ別々に詳細に観察し精密に記述するようなものである。しかしそのような方法では自然科学の知見は発展しない。例えば物理学とは、観察可能な現象をより根源的に説明できるシンプルな原理や法則を見つけ出そうとする学問であり、同じ条件下であれば必ず再現できるという再現性を基本とする。葉っぱも石ころも紙ヒコーキも、同じ物理法則に従っていると考えることで、万有引力のような理論が構築可能となるのである。いくら紙ヒコーキの運動のみを詳細に観察・記述しても、万有引力のような発想は出てこないのである。


酒井によれば、チョムスキーは上記のような自然科学的なアプローチで言語を理解しようとした。つまり、いくら異なる国や異なる文化で異なる言語が使われているといっても、人間の言語は本質的にすべて「同じ」である、どの言語も同じ型(構造・システム)を持っていると考える。ただし、チョムスキーの思想は、表面的な構造を帰納的に分類していく構造主義言語学とは異なると酒井は説く。むしろ、自然科学のように、目に見えない重力や素粒子のようなものを演繹的に探究していくというアプローチをとるのである。実際、チョムスキーは、人間の脳に生得的な「文法」が組み込まれていると考える。どのような言語が母語になろうとも、その土台となる基本的な言語システムは変わらない。人間にはこのような「普遍文法」が生得的に備わっているから、その土台の上に個別の言語について肉付けをしていけばよいわけである。普遍文法の「普遍」と万有引力の「万有」は、英語だと同じ(unversal)であることからも、チョムスキーの理論と物理学との親和性が伺える。


では、すべての個別言語に共通の文法すなわち普遍文法を研究することは、ほんとうに自然科学といえるのだろうか。酒井によれば、言語機能が人間の脳の生得的な性質に由来すると考えるならば、人間が進化の過程で身に着けた生得的に備わっている普遍文法は自然現象であって自然法則に従っているはずである。よって、普遍文法を理解することは脳の機能を理解することであって自然法則を理解することでもあり、言語脳科学という自然科学であると捉えることもできるのである。もちろん、人間が言語を用いて意味を生成し、知識を想像し、現実を構成するという考え方や、そのようなプロセスを通じて社会が成り立つといった考え方を否定するものではない。そのような社会現象や人間の思考が自然現象であって自然法則に従っているとはいえないだろう。ただ、そのような意味生成や現実の社会的構築を可能にする言語そのものの根源的な部分は自然科学的な原理や法則に従っていると考えるのである。