冷戦終結以降、新自由主義もしくは市場中心主義・自由競争主義が世界を席巻し、経済のグローバル化が進展した。長期雇用や年功賃金体系を生み出した日本的経営も批判の的となり、グローバルな価格競争によって、労働力も含めた生産要素も市場化した。その結果、雇用は不安定化し、非正規雇用も増加した。資本の移動は過度に自由化され流動化され、グローバルな資本移動が生じて各国の金融政策は有効性を失い、金融はバブルと崩壊を繰り返すようになり、投機マネーが商品市場に流れ込み、食料や資源価格までが大きく変動するようになった。これらのトレンドは、リーマン・ショックやEU危機などをもたらした。
このことについて、佐伯(2012)は、グローバル資本主義の進展によって、「国家」が、貪欲に利益を狙う「市場」のしもべと成り下がっていっていると指摘する。もっと深刻なのは、「国」を奴隷化することによって、逆に自由市場そのものが危機へと突入しているということである。
例えば、グローバル資本主義では、市場中心主義が「社会的土台」を破壊していることを佐伯は指摘する。カール・ポランニーは、「市場経済」がうまくいくためには、それを支える「社会」という土台が安定していなければならないと述べた。実際、「生産要素」は社会的土台に関わる。質のよい労働力を生み出す教育や医療、地域の生活や家庭、交通や住宅環境、食糧などがその例である。しかし、過度の市場競争化が、その基盤である「社会」の安定性を崩している。つまり、グローバルな価格競争の進展が、生産拠点の海外移転や労働力の市場化など、生産要素の市場化ももたらし、その結果として、生産活動の安定性を支えていた日本型の雇用も不安定化したというのである。
ただし、佐伯は、まったく無秩序で無政府的で自由な市場経済などというものはありえないともいう。EUの問題にしても、グローバル市場は、最終的に政治的な「力」によって支えられなければならないという。実際、グローバル経済における、これまでのさしあたっての勝者は、アメリカ、中国、ロシア、インド、ブラジルなどである。これらの国の特徴は、国家が強力だということである。つまり、政府の行政力が強力であったわけである。
また、皮肉なことに、グローバル資本主義を支えているのは、中国という共産主義国であると佐伯は指摘する。為替を管理し、金融市場を管理し、独裁的で協力な政府によって十分な税収が確保されるという変則的な経済のおかげで中国経済は未曾有の成長を遂げ、リーマンショック後の世界経済を支えたのである。他のBRICs諸国のロシア、インド、ブラジルなども、決して模範的な市場経済の国ではない。実際、冷戦が終わって自由経済が勝利したあとの世界で、グローバル資本主義の恩恵にもっともあずかったのは共産主義国なのだという。
これらの状況から、佐伯は、いま世界が直面しているのは「新帝国主義」というべき状態だということを示唆する。それは、発展段階と文化や社会構造が異なった多様な国々が、まったく同一のグローバル市場という画一化された世界に投げ込まれて競争にさらされている点にも関連している。グローバル化にうまく乗った新興国は急成長するが、それは先進国には大きな脅威となり、国内で雇用不安などの不安定化をもたらす。先進国も新興国も、資源戦略やグローバル・マネーに翻弄されると同時に、深刻な国家間の差異が生み出されている。
グローバル市場競争経済の進展は、一国だけの金融政策をほぼ不可能にしてしまったため、各国の自由裁量的な政策手段が制限され、景気回復のための有効な手段を持ち得ない。各国は、やむをえず、輸出振興のための為替切り下げ競争へと走り、あるいは海外市場確保のための自由貿易協定(FTA, TPPなど)へと乗り出すことになる。これは、いずれグローバル競争をいっそう激化する、変形された「帝国主義」といわねばならないと佐伯はいう。
この結果、経済が長期的な停滞に陥るか、激しいグローバル競争の中で特定の分野へひずみを与えるか、労働配分率が低下するかであろう。すると、今日の民主政治のもとでは「民意」は常に不満を政治にぶるけるので、政治が著しく不安定化し、政権は絶えず世論の不満にさらされるので、ますます経済運営が困難となる。場合によっては、大衆の不満の中から独裁が生まれ、民主主義が停止されるだろうともいうエマニュエル・ドットの視点も紹介している。