文化産業とリピドー経済がマルクス主義を敗北に追いやった

石田(2016)は、20世紀初めのマルクス主義者たちは、テイラーシステムを通した機械による人間の奴隷化やフォーディズムを通した労働者のプロレタリア化といった言説に代表されるように、労働と生産の体制についての優れた分析力によって、発達しつつあった資本主義に対して鋭く本質をえぐっていたと指摘する。しかし、それにもかかわらず、マルクス主義者や社会主義が20世紀を通じて敗北していった背景には、20世紀の先進資本主義のもう1つの側面である「消費を生産する」ことを説明する理論を持たなかったことにあると石田は論じる。具体的には、資本主義のうち、欲望・ハリウッド・消費といった、「文化産業の側面」を見ることでアメリカ型資本主義の覇権が決定づけられた理由がわかることを示唆する。

 

そもそも経済とは平たくいえばモノを作って売ることだが、そういった生産活動とペアになるのが消費活動である。モノを生産して売ることで資本の増殖を進めるといっても、放っておけば消費者のニーズは必ず飽和するので、消費をケアしなければモノを作り続けることができない。そのため、資本主義はある時から「消費自体を生産する」ようになったのだと石田は論じる。テイラーシステムから始まったフォーディズムが大量生産を生み出し、メディアというものを基盤技術とする文化産業が、夢や欲望を生み出すことで消費を大量生産する役割を担い、この2つのペアが20世紀の資本主義を牽引したのである。そして消費をベクトル化する技術としてマーケティングが発明されたのだと石田は指摘する 。

 

石田によれば、文化産業の基軸となったのがハリウッドである。フォーディズムは大量生産により車をできるだけ安くし、多くの消費者が車を買えるようにすることで早期の市場の飽和を打開し、大衆消費の時代を到来させることを企図していた。このような生産の合理化と大量生産化を消費的側面から支えたのが文化産業で、夢の工場とも呼ばれるハリウッドは、文字通り夢の断片を組み立て、大衆の夢を生産する。それはシネマという技術的無意識をベースとした原理で成り立っているので、無意識のうちに夢が組み立てられ、人々に欲望のシナリオを与えていく。つまり、人間の意識を大量生産する。これは社会主義ではできなかったことで、こうして中産階級の夢がハリウッドによって作り出され、この夢の工場とフォードの工場がペアになり、アメリカの資本主義が成長し、ミッキーマウスといったキャラクターによって何代にもわたって子供たちの夢が組み立てられていったのだと石田はいう。

 

石田は、モノを作る経済に対して、夢=欲望=消費をつくる経済を、フロイトにあやかって「リピドー経済」と呼ぶ。これは、フロイトが、経済の原理を無意識の心的エネルギー(リピドー)の動きに見立てたものである。そして、大衆産業社会の夢をつくることをビジネスの中心に据えたのが、ラジオ、映画、レコード、電話などの「文化産業」である。リピドー経済に働きかけることによって、アメリカの資本主義は大いに発展したのであり、リピドー経済なしに現代資本主義は成り立たないとさえいうのである。そして、20世紀のマルクス主義者は、テイラーシステムやフォーディズムでは極めて有効な批判を行ったものの、リピドー経済については批判理論を持ち合わせていなかったと石田はいう。

 

フォーディズムが、流れ作業による労働の組織化で労働を時間と動作の連続という2要素に分解し、労働を均質化・平準化することによって人間から「作るノウハウ」を奪い、人間をプロレタリア化したわけだが、映画を始めとする文化産業は、人間にできあいのライフスタイルを提示することで「生きるノウハウ」奪い、人間をプロレタリア化したのだと石田はいう。つまり、文化産業によって人々は「消費者」として手軽にいろんな夢(イメージ)を描くことができるが、これらの均質化・平準化されたイメージを無差別に受け取っているうちに、人々は自分自身でイメージをつくり、それを自分の言葉にする能力を失っていく。つまり、消費生活において、「生きるノウハウ」を文化産業に預けてしまうことになるのである。その結果、現代では、あらゆる生の場面のマニュアル化が進んでいる。

 

そして、フロイト的な集団心理学を援用し、アメリカでマーケティングという知識・技術が発達し、マーケティングが消費を作り出すことになった。マーケティングは、私たちの「心のなかに隠された市場」に働きかける技術である。例えば、企業はテレビ局から人々の脳の時間を買い、時間の関数としての人々の意識を借り切る。そこにCMを投入して人々の購買意欲を喚起する。私たちは無料で民放のテレビ番組を享受できていると思っているが、実は、民放は視聴者である私たちの脳の時間を1CMにつき数円でスポンサー企業に売却することで利益を得ているのだという理屈である。これは実際の商品を市場で販売する以前に、「意識のメタ市場(市場の市場)」、つまり商品が実際に売買する市場よりも上位に属し、市場を決定する力をもった市場に働きかける技術であり、実際の市場で商品をアピールするよりもずっと効果があるとのだと石田はいうのである。

 

つまり、ハリウッドの夢の工場と社会の無意識の欲望をエンジニアリングするマーケティングの技術が、消費を生産するという役割を担い、とりわけマーケティングが大衆の人々の消費を喚起することで、生産と消費が循環する資本主義のシステムが形成されていったわけである。つまり、放っておけば飽和してしまう市場で人々にあえて商品を買い替えさせるような技術をマーケティングが蓄積し、ハリウッドのスター・システムと連動させて販売する。すなわち、ハリウッドの「夢の工場」と社会の無意識の欲望をエンジニアリングする「マーケティング」の技術が、消費を生産するという役割を担っていく。これが20世紀のアメリカの資本主義の時代を作ったというのである。

文献

石田英敬 2016「大人のためのメディア論講義」 (ちくま新書)