縄文革命は人類最大の革命か

人類最大の革命は、産業革命でも、IT革命でもない。おそらく、縄文革命ではなかろうか。縄文時代の大きな特徴は、縄文式土器の登場である。林(2008)によれば、土器の登場は、人類にとって「大事件」ともいえる画期的な発明であった。なぜかといえば、粘土作品を加熱することで水に溶けない容器を製作したということは、人類が化学変化を応用することによって一気に社会・文化水準を飛躍させた大事件だと考えられるからである。


例えば、食物の煮炊きである。土器の出現以前は、基本的には生食で食べられる肉や魚介類に限られ、植物はあまり食べられなかった。しかし、土器を用いた煮炊きの発明により、生のままでは人間の消化器官が受け付けない多くの植物の成分を「化学変化」を利用して消化可能な物質に変化させることを可能にしたのである。とりわけ植物は、単に焼くだけでは炭になってしまったりして加工が難しい。土器による調理の発明により、人間が食べることのできるもののレパートリーが圧倒的に増加したのである。


このことは「縄文姿勢方針」の確立とも関連があると林は示唆する。縄文人が食用とした動植物のバラエティーは尋常ではない。それは、食料を極端に少ない特定種に偏ることなく、好き嫌いやわがままを一切言わず、可能な限り分散し、多種多様な食物の利用を心がけることによって、いつでも、どこでも食べるものに事欠かない状態を維持しようという方針を確立したということである。これは、ごく少数の栽培食物を、田畑を耕して獲得することによって自然の領域を侵し続けていった農耕文化とは一線を画すことも注目に値するだろう。「自然の克服」思想に基づく農耕文化が、人間による自然征服へのあくなき拡大を続けてきた結果、現代の地球環境汚染につながっていることを考えると、縄文文化はあくまで自然との共存を基礎とした文化であったと考えられる。


また、林によれば、縄文革命は、遊動的で、ゴリラや類人猿と類似した生活様式を行ってきた旧石器時代から、定住生活に移行し、ムラ社会を確立することによって、人間意識を獲得したという意味でも画期的な歴史的事件であったとも考えられる。私たち人間が、他の動物とは明らかに違うのだという人間的な意識の起源は、定住してムラやハラという縄張りを作り、自然的秩序とは一線を画した人間だけの新しい生活空間を創造した縄文時代に発生したとも考えられるのである。ムラの中に住居というさらにプライベートな空間ができた。定住する場所ができたことにより、そこから遠くに出かけていくという「旅」の概念が初めて登場した。ただし、ムラ空間の出現は、上記で述べた農耕文化のように、自然の秩序や摂理に反抗しようとする人間と自然の新しい関係につながり、現代における地球規模の深刻な環境問題につながっていることも事実であろう。