見田(2006)は、「近代」と「現代」の関係性を次のように説明する。まず、「近代」とは、今から振りかえってみるならば、地球という有限な空間上での、人間というよく適合した動物種による「大爆発」の局面だったといえると指摘する。S字曲線とかロジスティック曲線などの「成長曲線」においては、一見すると無限に成長するように見えるものも必ず臨界点に達するため、「爆発期以前」と「爆発期」と「爆発期以後」という局面がある。見田によれば、近代は、このうちの「爆発期」だというのである。人口動態の推移をみても、地球上のエネルギー消費量の推移を見ても、そのことが伺われる。
一方、20世紀後半の「現代」と呼ばれる時代は、近代の加速度的な増殖の最終局面であると同時に、この増殖に絶対の「限界」が存在することの知覚が共有されはじめた時代だと見田は論じる。近代、特に後期近代の加速度的な成長が永続することの不可能な一回的な「爆発」であることは明らかであり、いくつかの動物種たちが過去に遭遇したような破滅を回避しようとするなら、成長はどこかで「変曲点」を持たねばならない。実際、人口動態の推移を見ても、1970年ごろを「変曲点」として「爆発期以後」への移行の兆候を見せていると見田は指摘するのである。
さらに長い人類史の視点で見るならば、農耕に始まり都市と貨幣の経済を析出してきた「文明」の数千年は、「近代」に至る「長い助走」として位置づけることもでき、「現代」は、近代の爆発の最終の位相であるという力線と、新しい安定平衡形に向かう力線との拮抗する局面として、未知の未来の社会形態へと向かう、巨大な過渡の時代としてとらえておくことができるという。「ポストモダン」が、ウルトラモダンというべき現象と、もはや近代ではないものの両方を指し示すことがあるという両義性は、現代という時代の実体が、近代の最終局面であると同時に、もはや近代ではない時代の始まりという両義性を持つことと、正確に重なって対応していると見田は指摘する。
また、人類史を、遠い祖先が道具を制作し言語というコミュニケーション技術を獲得したことによって「人間」という新しい生命存在の形式として立ち現れた第0次産業革命、農耕を基礎として「文明」を開いた第一次産業革命、「工業」を基礎とする第二次産業革命、そして「情報化」を中心とする第三次産業革命と4つのステージに分けるならば、この4つのステージは「継起的」なものよりも「重層的」なものだと見田はいう。第0次産業革命の結実である「道具」と「言語」は、「現代」に至る人類史のあらゆる局面の前提であり基底音である。第一次産業革命の結実である「農耕」と「牧畜」は、余裕のある人間生活の基礎として、工業化や情報技術化のあらゆる華麗な展開をステージの下で支えてきた。第二次産業革命の結実である「工業」生産力は、「情報化」諸技術のハード面を支えている。
つまり、「現代」社会は「近代」社会の一部分であり、「近代」社会は「文明」社会の一部分であり、「文明」社会は「人間」社会の一部分である。そして「人間」社会は地球の生命潮流の一部分であるという具合である。ひとつのものが死滅して、それに代わる新しいものが出現するのではなく、ひとつのものは生きつづけ、その上に立って、新しいステージが展開し、積み重ねられるというのである。現代の人間の中には、生命性、人間性、文明性、近代性、現代性という五つの層が、さまざまに異なる比重や、顕勢/潜勢の組み合わせをもって「共時的」に行きつづけているということを把握することが、具体的な現代人間のさまざまな事実を分析し、理解するうえでも、また、望ましい未来の方向を構築するうえでも、決定的に重要だと見田は示唆するのである。