「脱亜」によって実現した2つの近代文明

川勝(2012)は、日本は、アジアからの自立すなわち「脱亜」によって文明を切り開き、ヨーロッパも、「脱亜」によって独自の文明を発展させたということを示唆する。ヨーロッパも日本も、アジアから視れば辺境の地であった。この意味からすると、アジアもしくは「海洋アジア」は、近代文明の母胎でもあるという。川勝があえて「大陸アジア」と区別した「海洋アジア」という語を使う理由は、西洋と東洋で最初の近代文明を形成したイギリスと日本がともに島国であることから、おのずと「海」から捉えるという視点が出てくるからだという。


海洋アジアは、インド洋、東南アジア多島海南シナ海東シナ海の3つの海域からなる。西に位置するインド洋の周囲は文化的にはイスラム教圏であるから「海洋イスラム」であり、環シナ海域は華僑・華人が住みついているから「海洋中国」である。これらの中間の東南アジア多島海は、イスラム色と中国色が入り混じった海域となる。そして、脱亜といっても、ヨーロッパの場合は、主に海洋イスラムからの自立であり、日本は、主に海洋中国からの自立だといえる。


ヨーロッパ社会は、アジア文明に影響を受けつつ、それを超克して、アジアではない自らの文化的一体感と共同体をつくりあげてきたと川勝はいう。つまり、「アジアの外圧に抗して自立したことでヨーロッパが誕生した」というように、ヨーロッパの歴史は「脱亜史」だと概括できるほどだというのである。とりわけ、アジアで誕生したイスラム教文化圏とヨーロッパのキリスト教文化圏が一体の文明のダイナミズムをつくる歴史を形成したのであり、それは、ヨーロッパの台頭がイスラムの衰退と重なり、ヨーロッパの衰退はイスラムの台頭と重なっていたという。


例えば、古代ヨーロッパの時代では、中東で勃興したイスラム教の新勢力に締め出され、地中海はローマの海からイスラムの海になってしまった。中世ヨーロッパでは封建制がひろまり、自分たちがイスラム教徒ではなくキリスト教徒であるというように、否定的媒介を通して「ヨーロッパ」としてのアイデンティティを獲得するに至った。また、イスラム・アジアに対する排他的な宗教的一体感が敵愾心に転じて十字軍につながった。近世ヨーロッパは、オスマン・トルコの台頭で牛耳られていた地中海をとりもどし、さらに東方のインドに向けて乗り出していったときに始まった。そして、近世から近代にかけては、産業革命、政治革命、文化革命などの激変期と構造変化を通して、ヨーロッパはアジアから文化的にも経済的にも自立して、自らが優位にたつようになった。ヨーロッパで資本主義が起こってイスラム圏が衰退し、同時にアジア地域は「憧れのアジア」から「支配する対象としてのアジア」に変わっていったことを川勝は指摘する。


日本についても、中国的アジアから離脱して自立し、日本としてのアイデンティティと日本人としての一体感を醸成してきたと川勝はいう。つまり、日本も中国を否定的に媒介して日本としてのアイデンティティを確立してきた。例えば、古くは聖徳太子の「日出ずる処の天使、書を日没する処の天使に致す」という書面に始まり、福澤諭吉の「脱亜論」の時代では、西洋へのキャッチ・アップを通じて「脱亜入欧」すなわち「脱中国」「入文明」が主張された。そして、極東アジア地域は、近年の経済発展の軌跡において、「脱亜」した日本と同じ道をたどっているのだと川勝は指摘する。