陸の帝国と海の帝国で理解する世界史

宮崎(2015)は、世界史の大筋は簡単であればあるほどよいという発想のもとで、世界史を、1)モンゴル帝国の時代に至るひとつながりのユーラシアの世界史、2)ユーラシアの「陸の世界史」と、地球規模の「海の世界史」が時期的に並行する時代、3)イギリスを中心とする「海の世界史」が変化しながら「陸の世界史」を飲み込んでいく時代、4)2つの世界大戦でヨーロッパが没落し、アメリカの主導下に地球の一体化が進む時代、として描いている。さらにいえば、世界史は、陸の帝国と海の帝国の2つのせめぎ合いとして理解することも可能だと思われる。以下、宮崎(2015)をもとに説明する。


まず、古代では、ユーラシアにおける乾燥地帯であるイラン付近の西アジアに、陸の大帝国であるペルシャ帝国が出現し、一方、東地中海の成長に伴い、海洋帝国ローマが出現する。ちなみに、ヒマラヤ山脈によって乾燥地帯から隔てられたインド帝国モンゴル高原チベット高原などによって隔てられた中華帝国は、独立した世界を形成していった。古代世界史を主導したペルシア帝国(陸の世界)とローマ帝国(海の世界)は長期の戦争で共倒れとなり、その領域の大部分がイスラーム帝国に統合されることとなり、イスラーム帝国からモンゴル帝国に至る時代にユーラシアの一体化が進むこととなったのである。


アラビア半島のアラブ人が地中海南部から西アジア中央アジアに至る広大な地域に成立させたイスラーム帝国のもとでは、ユーラシア規模の商業ネットワークが成長し、文明の東西交流が一気に進んだ。その後、中央アジア遊牧民であったトルコ人が進出し、勢力をアフガニスタン北インドまで延ばすことで、ユーラシアの一体化の動きはさらに加速する。さらに、モンゴル高原遊牧民の制服活動が活発化し、中央アジアの大草原を中心にイスラーム世界と東アジア世界の二大農耕地帯を征服することで空前絶後のモンゴル大帝国が出現した。このように、ユーラシア帝国は、アラブ人→トルコ人→モンゴル人と担い手を替えながら、7世紀から14世紀までのほぼ700年続いた。


一方、ユーラシアから見て辺境の地域であったヨーロッパでは、キリスト教徒が結束して、ビザンツ帝国を危機に陥れたトルコ人と戦う十字軍が始まり、それをきっかけにイスラームの世界文明が西ヨーロッパ世界に移植されることとなった。また、モンゴル帝国の下でもヨーロッパは地中海とバルト海を通じてユーラシアの大商業圏と接することとなり、経済的・文明的飛躍を実現した。また、中国の羅針盤が伝えられるなどの出来事によって大海原を航海できる技術を高め、ヨーロッパ諸国による大航海時代が幕を開けることとなった。


15世紀には、ヨーロッパ人はユーラシア大陸から地球の表面積の7割を占める大洋に進出し、大西洋を中心として南北アメリカ大陸やアフリカ大陸が世界史に組み込まれ、大西洋から資本主義経済が成長していった。つまり、大航海時代以降、帝国が持続するユーラシア(小さな世界史)と、大西洋、太平洋、インド洋といった3つの大洋が5つの大陸を結ぶ空間に成立させた新経済・政治システム(大きな世界史)がせめぎあう新たな時代に突入していったのである。まずはポルトガルやスペインが海の時代を主導し、大西洋世界が急速に開かれていった。その後、スペインから独立したオランダが海の時代を本格化させ、ついでイギリスが海軍力によって大西洋の覇権を奪うこととなった。海洋帝国イギリスが台頭することとなるのである。


ヨーロッパでは資本主義と国民国家が成立し、18,19世紀にはアメリカの独立を契機に国民国家が世界に広がっていく。そして、産業革命と産業都市が世界史を主導するようになっていった。地球規模で普及していった鉄道、蒸気船などの高速交通網も都市の成長を支えるようになった。海洋帝国としてのイギリスが覇権を握り、ユーラシア帝国としてのオスマン帝国などは解体していき、ヨーロッパのアジア進出が加速した。一方、アメリカは新大陸で西のフロンティアに進出して巨大化し、海洋帝国化して太平洋に進出するようになった。


2つの世界大戦でヨーロッパが没落すると、アメリカと、ソ連の2大勢力が冷戦を通じて世界史を主導することとなった。つまり、大洋を制覇し、西ヨーロッパ、日本に影響力を拡大した海の帝国アメリカに対して、ロシア革命によって誕生した陸の帝国ソ連が強大な軍事力と社会主義イデオロギーを武器に社会主義圏の形成に着手して東ヨーロッパと中国を組み込むことで対抗することになったのである。その後、ソ連の崩壊と冷戦の終結とともに、米・ソではない第三の新勢力がアジア・アフリカで台頭し、太平洋が世界の中心となるゆる状況で地球の一体化が進んでいるわけである。