ユーラシア全域と海洋世界から眺める「新しい世界史」

岡本(2018)は、世界史における西洋中心史観を批判し、西洋中心史観で焦点が当てられている世界史の時系列と地域空間を見直すことで、西洋史観に基づかない「時代区分」と中央ユーラシアを舞台とする「東西交渉史」を組み合わせた「新しい世界史」の構想を試みている。この新しい世界史では、西洋近代以前の表舞台はいやおうなくユーラシア全域ということになり、なかんずく東・南・西アジアが遊牧と農耕の二重世界となって、各々の内部で相克と共存を繰り広げる歴史ということになる。その後、海洋世界の時代が到来し近代ヨーロッパが胎動することになるのである。


上記のような発想だと、世界史はアジア史が中心的な位置を占めることになり、そのへそとなるのがユーラシア大陸の中央付近、シルクロードのあたりとなる。ユーラシア大陸は広大なので、地理上の気候、生態系、それに応じた人間の生活様式が違う。具体的には、温潤気候と乾燥気候が南北に併存した構造のもと、温潤地域では農耕で穀物を生産する定住生活が志向され、乾燥地域では牧畜の草原を求めて移動する遊牧生活となる。遊牧は軍事力に、農耕は生産力につながる。そして遊牧と農耕は全く別の生活様式なので産物も日用品も異なるため、遊牧地域と農耕地域の境界で取引交易の契機が生じ、商業が誕生し発達したと岡本は説く。


すなわち、ユーラシア大陸において遊牧、農耕、商業の3要素が交錯した場所から世界史(アジア史)が出発したといってよく、古代文明の発祥として最古なのがオリエントだと岡本はいう。オリエントの文明圏、国家圏はどんどん拡大していき、オリエント・西アジアという大地域を構成するようになった。ギリシア・ローマもオリエントの外延拡大の産物となる。東においてはオリエントからの波動をうけたインド(インダス)文明が生まれ、オリエント文明がさらに東に伝播したのが黄河文明であると岡本は解説する。


その後、地球規模の気候変動である寒冷化によって、遊牧(軍事)、農耕(生産)、商業(交換)のバランスが崩れ、民族大移動が生じ、古代文明が解体していった。生活に安定を欠き、生存を脅かされた人間は宗教を発展・普及させ、オリエント・南アジアで生まれた世界宗教キリスト教、のちにイスラム教、そして仏教)が東西に広がることとなった。そして世界史は、流動化の世紀を迎える。東の中原(中国)、西のペルシア、ローマに至るユーラシアにおいてやはり主たる舞台はペルシアや中央アジアで、西からのイスラーム化と東からのトルコ化が進展し、分立、拡大、統一を繰り返すなかで様々な民族、国家が勃興・衰退を繰り返した。


そして、モンゴル帝国の誕生で世界史は大きな契機を迎えた。遊牧勢力の打ち立てた政権が広域の支配圏を作ったことで、他国の対峙・共存の時代から、東西の草原オアシス世界の統一、ユーラシア統合、近世アジアの形成につながった。軍事拡大をやめたモンゴル帝国は、広域の商業化、銀建ての財政経済、流通過程からの徴税などを推進し、ユーラシア全体は政治的な多元性と潜在的な対立を残しつつも、商業で1つに結びつく経済交流圏となったのである。そして、ユーラシア地域全体を巻き込んだ商業経済圏の拡大は、シルクロードの商業資本と結びついた貨幣・流通の組織が、陸上にとどまらず海上に展開することにつながったと岡本は説く。


ポストモンゴル時代には、西アジア中央アジア、南アジアにおいてはイスラーム勢力による政権が異教徒を包含する形で統治を行うようになり、東アジアにおいては、明朝、清朝時代において社会の商業化とともに海上交通、海洋交易も盛んになっていった。また、以下に示す大航海時代の到来によって、インド洋はユーラシアの付随的な沿岸から、世界の大道へと化した。それに伴い、中央アジアに代えてインドを、経済的に世界の動向を左右する存在、アジアの一大中心地たらしめることとなった。


15世紀末以降のインド航路、アメリカ大陸の発見に機を発する大航海時代の到来によって、ほぼユーラシア大陸のみを舞台に営まれていた世界史が、地球全体を覆うグローバルなものに転じた。いわゆる「環大西洋革命」である。ここで世界史の主役が、ユーラシアの最果てに位置し、これまでほとんど存在感のなかった地域であった西ヨーロッパに変わったのである。その後、産業革命の世紀を通じて、大英帝国・近代西洋がアジアに優越し、これを従属化させることで世界を制覇したのは旧来の世界史が記述するところである。