本を読んで不良になろう

橋本(2003)は、大学生以降の読書はむしろ、不良にこそふさわしいという。先生に気に入られようとする「よい子」は、高校を卒業すると読書をしなくなる。先生が読書をすすめなくなるからである。人の知らないことを誰にもすすめられずにたくさん読んでいるというのは不良の証ではないかという。漫画、哲学書、写真集、手芸本など普通の人が読まない本をたくさん読んでみる。例えば、図書館で、名画、建築、彫刻、仏像、現代アートなどの写真を集めた本を一通り目を通してみる。


また、橋本は、「読書のしすぎ」など、「読書問題児」になってもいいのではないかという。手当たり次第に読み散らす読書不安定児、読書力が異常に発達し年齢不相応なレベルのものを読む読書早熟児、読書にのめり込み登場人物になりきって自分を見失ってしまう読書分裂児などである。読書に関していえば、不良でもよし、問題児でもよし、ということである。また、読書においては「ブランドかぶれ」になってもいいのではないかということも示唆する。例えば、古典は知のブランドである。そんな「ブランド商品」を、内容もよくわからないまま買い漁って、本棚に並べておくというのでもよい。本当に必要だから買うというわけではなく、ブランドだから買う価値があるといってもよいというのである。


では、このような「不良」「問題児」「ブランドかぶれ」になることで、どのような人間になるのだろうか。橋本は、読書を含め、「学問」をすることで、テストによって評価されない「見えない学力」が身に付くのだという。「見えない学力」あるいは「見えない学問力」は「すぐれた問いを発する能力」につながる。「見える学力」においてすぐれている人は「答え方」が上手である。「見えない学問力」においてすぐれている人は「問い方」が上手である。そして後者は、大学以降では決定的に重要だという。学問では「問うこと」が大切なのである。これは、不良・問題児であるからこそ身につく能力かもしれない。なぜなら、「問い方」が上手な人は、物事をナナメからみる一方で、パッションに満ちた生活を送っているからだと橋本はいう。人と違った経験や関心を持っていると、独創的な問いを立てることができるのである。