「歴史」と「宗教」を軸に本質を見極める勉強をする

中原(2014)は、これからの世界で私たちに求められるのは、洞察力、すなわち、俯瞰的かつ大局的な視点をもって、物事の本質を見極める洞察力だと指摘する。物事の本質をとらえるためには、ある特定の分野の知識だけではなく、多種多様なジャンルの知識を学ぶことが求められるともいう。それを可能にするための手段の1つが読書であり、読書の絶対量が多ければ多いほど、その人の知識量は多くなり、読書のジャンルが広がれば広がるほど、その人の視野は広くなり、本質を見極める洞察力が身につくというのである。


中でも、歴史と宗教をひとつの軸として、そこに、哲学、宗教学、心理学などの人文科学、法学、政治学、経済学などの社会科学、物理学や化学などの自然科学といったように、できるかぎり幅広いジャンルの知識を備えていくことの重要性を中原は論じる。例えば、歴史を「人類の失敗史」ととらえ、現在起こっている目の前の問題を過去の酷似する事例と照らしあわせて考察することで、非常に多くの教訓を学ぶことができ、同じような過ちを回避することが十分に可能になるという。これは「人間は同じ過ちを何度も繰り返す生き物である」という本質をとらえた視点でもある。そして、幅広いジャンルの知識を備え、学問を融合させることによって、歴史的事実が浮かび上がり、より深く歴史の真相に迫ることができる。


また、自分たちの固定観念を捨て去り、謙虚な心をもって、さまざまな国の歴史や宗教をありのままに学んでいくと、世界はどんな国々や民族で成り立ち、それぞれがどんな歴史を経験してきたのかを理解することができるようになるという。例えば、欧米の価値観の根本原理は、歴史と宗教から知ることができる。歴史と宗教を学べば、なぜ欧米人が基本的人権や民主主義を絶対的な価値基準とするのかが、宗教改革をきっかけとして、キリスト教、さらにいえば聖書の解釈の広がりから生まれてきたからだということが理解できる。また、中国の歴史を学ぶことで、この国が虐げられてきた民衆の蜂起と氾濫の歴史でもあることが理解できる。これらの理解から、今後この世界がどうなっていくのかについての洞察を得ることができるのだと中原は示唆するのである。