「ハイパー消費」から「コラボ消費=シェア」へ

ボルツマンとロジャース(2010)は、これまでの現代社会を「ハイパー消費主義」という概念で象徴するとともに、これからの時代を象徴する「コラボ消費」「共有=シェア」の方向性を解説している。彼らによれば、現代を生きる私たちは「ハイパー消費」の環の中に身を置いている。経済学において、アダム・スミス、そしてのちにミルトン・フリードマンの二人は、自己利益の追求が社会全体の利益につながると信じたわけであるが、この信念が、わずか数世代の間に、技術的な創意工夫というどちらかといえば健全な話から、ブランドや製品やサービスをとおした自己のアイデンティティのあくなき追求へと形を変え、ついにはとどまるところを知らない究極の消費主義のシステムになっていったと指摘する。


「ハイパー消費主義」の時代では、ただのんびりと過ごしていた時代とは異なり、現代の人々は、浪費を覚え、働いては消費するという目まぐるしいサイクルの中で自分を見失いつつあるとボルツマンとロジャースは指摘する。人々は大量生産、大量消費の社会システムに組み込まれ、商品の「使い捨て」は当たり前となり、また、お金で買えるものをため込むことが幸福と信じるようになったのである。そのような社会では、慢性的に欲望を喚起しつづけて商品を売り込む手法が発展し、メディアもそんな時代の一翼を担っていた。モノを作る生産性を高めれば人々の余暇や財力が増え生活が豊かになるという発想も、モノが溢れかえってコモディティ化し、モノを消費し続けることに希望を見出せなくなった今、行き詰まりを見せているという。


それに対し、現代の大きなうねりにあるのが「コラボ消費=シェア」であるとボルツマンとロジャースは指摘する。コラボ消費では「何を持っているか」ではなく「何にアクセスできるか」「どうシェアするか」を重視する。現在におけるコラボ消費のシステムは、大きく次の3つがある。1つ目は「プロダクト=サービス・システム(PSS)」である。これは、ある製品を100パーセント所有しなくとも、その製品から受けたサービス(利用した分)にだけお金を払うという考え方である。2つ目は「再配分市場」であり、ソーシャル・ネットワークをとおして、中古品や私有物を、必要とされていない場所から必要とされるところ、人に配り直すという考え方である。3つ目は「コラボ的ライフスタイル」であり、同じような目的をもつ人々が集まって、時間や空間、技術やお金といった目に見えにくい資産を共有するという考え方である。


ボルツマンとロジャースは、これらのコラボ消費がうまくいくためには4つの原則があるという。1つ目は「クリティカル・マス」で、システムを自律的に維持するために十分なモメンタムが必要だということである。クリティカル・マスに到達するポイントは「ティッピング・ポイント」と呼ばれる。2つ目は「余剰キャパシティの活用」で、製品を所有しているがゆえに使用されていないアイドルタイムを、他人とシェアすることで活用するということである。例えば、自家用車は平均すると1日のうち23時間は稼働せず空間を占有しているだけといわれる。3つ目は「共有資産の尊重」であり、共有資産、公共資産を大切に扱うことである。4つ目が「他者との信頼」であり、共有資産を管理するにあたっては、見知らぬ人との協力関係が必須であり、他者との信頼関係が欠かせないということである。


インターネットの進化などによってもたらされるようになった「コラボ消費=シェア」の動きは、「シェアリング・エコノミー(共有経済)」に向けた時代のターニングポイントであり、20世紀が育んだハイパー消費文化へのカウンターでもある。モノそのものではなく、モノの価値へのアクセスによる新しい経済圏の創出(共有による価値創出)の思想である。それは、資源への負荷軽減を通じた持続可能性(サステナビリティ)社会の構築にむけた進化プロセスを反映しているのだといえよう。