言語学=物理学である。

酒井(2006)は、チョムスキーを「科学に最も大きな貢献をした言語学者の一人であり、現代の人間観を創造した」と紹介している。チョムスキーは、限られた言語の要素から無限に文を生み出す(生成する)ときの法則に着目する「生成文法」を提唱した。この革命的なアイデアにより、人間の言語は、共通した文法規則「普遍文法」に基づいていることが初めて明らかにされた。言葉の組み合わせを変えることで、いくらでも新しい文を生み出すことができる言語の創造的な特徴を見出したのである。


チョムスキー言語学が、物理学に等しいと考えられる理由は何か。酒井によれば、そもそも言語がなければ科学を他の人に伝えることはできないし、科学についての仮説を言語抜きに考えることはできない。だから科学は言語の世界に含まれ、人間の言語能力によって規定される。科学は人間の言語能力を超えることはできない。そうなれば、物理学のような科学も、それによって世界のあらゆる事象を解き明かせるように見えても、言語能力の制約を受けている以上、究極的には言語の問題に行きつくことになるだろう。


そして、チョムスキーは、言語の研究にあたって、言葉の本質が「意味」を伝えることにあるという信念をばっさりと切り捨てたと酒井は説明する。チョムスキーは言葉から「意味」を切り捨てることにより、人間の言語の根幹となる「文法」の法則性を明らかにした。物理学をモデルとして、徹底的に抽象化、理想化を進め。できる限り普遍的な法則や説明を見つけだそうとしたのである。人間の言語の文法規則の範囲を数学的に規定することで、人工知能分野の「自然言語処理」にも貢献した。そして、脳科学をも刺激し、人間のみが持つユニークな言語のしくみを解明する「言語脳科学」にも多大な影響を与えていると酒井は説明している。


また、酒井(2002)では、言語学において、できるだけ少ない文法規則(法則)を見つけてさまざまな言葉の現象を説明しようとする演繹的な方法論は、物理学そのものであるとも言っている。「言語に規則があるのは、人間が規則的に作ったためではなく、言語が自然法則にしたがっているからだ」という考え方に基づいたアプローチなのである。