学歴社会はなくならないが・・・

最近わが国においても、主要な大学で英語の授業のみで卒業できるプログラムを設置するところが増えている。これはどういうことかというと「優秀な日本人学生に入学してもらいたい」ではなく「優秀な学生が欲しい。優秀であれば国籍は問わない。日本語が話せなくてもいい」という方針に変わってきているからである。


野口(2011)は、日本企業でも、日本人よりも外国人を優先して採用する動きがあると指摘する。現地業務展開の要員としてではなく、本社採用の幹部候補生としての採用も多いと言う。企業が生き残っていくためには優秀な人材が必要である。グローバル化、ボーダーレス化が進み、優秀な人材が世界中のあらゆる場所から調達可能となりつつある中においては、自然な成り行きといえよう。


野口は、学歴は、人材のクオリティを短期間で判断するには重要なシグナルであることを示唆する。学歴社会はこれからも続いていくであろう。しかし、これまでの日本の学歴社会とは異なる方向に進むものと思われる。学歴社会自体がグローバル化するのである。大学のランクを日本国内だけで判断するのはナンセンスとなるであろう。例えば、アジア地域において、トップ大学、中堅大学、平均的な大学といったような序列が出来上がる可能性がある。トップ大学であれば、どこに行こうとも中核プログラムは英語のみで卒業できるので、選択肢は広がる。同レベルの大学間での学生獲得競争は激化し、切磋琢磨することになる。そのため、教育水準も向上する。


そのため、例えば将来は、優秀な学生であれば国籍を問わず、東京大学シンガポール大学の併願、あるいは上海交通大学ソウル大学の併願ということが起こるであろう。日本人が、精華大学と香港科技大とKAISTの3つに合格してどこに行こうか迷うというようなことになるだろう。トップ大学にもなれば、あらゆる国々から優秀な学生が集まってくるだろう。もはや、大学受験は一発勝負で人生が決まるというようなものではなくなる。実力さえあれば、受験のオプションは非常に広くなるからである。