(もういちど)倫理を学ぶ

倫理学の専門家でない一般人が倫理を学ぼうと思ったら、高校の「倫理」の教科書が最適であろう。小寺(編)(2011)の「ふたたび倫理を学ぶみなさんへ」には以下のようなくだりがある。

「人間はいかに生きるべきか」「人生はいかにあるべきか」という問いは、私たちが人生で直面するさまざまな問題の中でもいちばん基本にある問いといえます。・・・そして、この問いに対する先人の答えは、洋の東西を問わず、各人各様といってもよいほどさまざまです。・・・私たちが、こうした先人の真剣な思索の成果を学ぶ際に、もしも、それがただ過去の知識を習得することに終わるならば、倫理を学ぶことほど不毛でつまらないものはないでしょう。私たちが自分自身の心と行動のあり方を反省しながら、人間の生き方・あり方について主体的に問い進めていくところに、倫理を学ぶ意義があるからです(p2)。

倫理とは何かという質問に、「倫理」という言葉の意味を説明する答え方があります。例えば、「倫」とは「なかま」のことであり、「理」とは「筋道」のことをさしますから、倫理とは要するに人びとの永年の経験が積み重なってできあがった、人間集団の規律やルールのことをさすと説明できます。倫理は私たちが他者とともに、人間らしく生きるための道筋を示すものといえます。私たちはこのような人として歩むべき道筋を過去の人びとから受け継ぎながら、未来の新しい時代に即した人間の生き方を探求しなければなりません(p2-3)。

「いかい生きるべきか」に関連するのが、「生きがいとは何か」である。教科書では、例えば神谷美恵子の著作を紹介し、以下のように説明している。

神谷美恵子はこのような体験から、人生の中で自分のなすべき使命感をもっている人が、一番生きがいをもっていると述べている。自分が誰かに必要とされ、自分の果たすべき使命や役割があると自覚している人が、生きる張り合いをもって毎日を送れるのである(p15-16)。

また、モンテーニュの「生きること自体が仕事である」という考えも紹介している。

彼は『エセー』の最後の部分で、「生きるという仕事は、あなたの仕事の中で、もっとも根本的な、もっとも輝かしい仕事である」と述べている。あたえられた人生をそのまま素直に受け入れ、自然な欲求を適度に満たし、人生を愛し、楽しんで生きることが人間にふさわしい仕事である。・・・いかなる思想によってもゆがめられることがなく、ありのままの人生を素直に受け入れ、楽しみ、平凡に、しかし、誠実に生きる仕事を、モンテーニュはやりとげようとしたのである(p91-92)。