ぼんやりとした時間

辰濃(2010)は、ぼんやりとした時間ほど大切で貴いものはないと言う。季節のめぐるままに、季節のめぐる波にあわせて、もっと悠々に生きたい。ゆったりとした時間を生きるのは贅沢なことである。例えば、自然をみつめることで、精神の糧を得ることができる。ぼんやりとしている間に成長していたりする。


辰濃は、あてもない散歩、ぶらぶら歩きの醍醐味も紹介している。ひらめきも散歩の効用である。時間も気にせず、自由気ままに歩き回り、景色を眺め、きれいだなあと感じ入る。自然の中を歩いていれば、自然あってこそ生き物が生きていられること、自然の偉大さに気づき、自然に感謝しよう、空気に、水に、みどりに、風に感謝しよう、と思えてくる。四季はそれぞれよさがある。ぶらぶらと歩きながら、二度とめぐりあえない、それぞれの季節を心ゆくまで味わうことだ。


自然に溶け込んで生きることができれば幸せだ。川の水が流れて行くように、何も考えず、何もしないで生きることこそ人間の生き方だ、という考え方もある。自然に溶け込むということは、人間が太古の自然に生きていたときの野性をよみがえらせることであり、それは生命力、生きる力といってもよい。自然治癒力ともいえる。


ぼんやりとした時間は、無駄な時間だといわれるかもしれない。けれども、たくさんの無駄の集積こそが、暮らしを豊かにする潜在的な力になりうると辰濃は言う。心安らぐ居場所を見つけ、静寂の中で、大自然の根底にある営みを感じ取ってみたりするのは無駄な時間ではない。ゆったりと温泉につかって、退屈な時間を楽しむのも贅沢なひとときだ。一人きりでぼんやりとする時間は、人生の中でもっとも貴重なことだといってもよいだろう。