考える道筋としての「問い」

苅谷(2002)は、常識的な思考にとらわれない知的複眼思考において「問いの立て方と展開の仕方」の重要性を説く。まず、なんらかの「疑問」を感じたならば、それを「問い」に変えていくことが、深く考えることにつながる。問いが立てられれば、その答を探し出そうとする行動につながり、すなわちそれは「考える」ことにつながるのである。


苅谷はまず、「問いのブレイクダウン」を紹介する。ひとつの漠然とした問いも、よく見ていくと複数の問いから成り立っていると気づく場合がある。よって、最初の大きな問いを複数の小さな問いに分け、それぞれの問いに答えようとしてみる。


つぎに「どうなっているのか」という実態への問いと、「なぜ」という理由の問いをうまく組み合わせながら展開していく。例えば、最初は「どうなっているのか」と実態を問い、それが明らかになってきたら「なぜ」という理由を問う。そこで、「なぜ」につながる要素について「どうなっているのか」とその実態を問う、というように展開していく。


また「抽象性」と「具体性」のレベルの問いを自由に使い分けながら展開していくことも説く。具体的な個別の事柄と一般的な事柄との往復運動の中で問いを考える。例えば、具体的なケースから初めて、細かい部分を捨象するかたちで抽象度を高めた概念を抽出し、一般的な形で原因と結果の関係を表現してみる。その一般的な因果関係が、別の個別ケースにも当てはまるか、再び具体的なレベルにおとして吟味してみる、といった具合である。