数学の歴史

数学の歴史を見ると、人間が、自らの思考能力、とりわけ抽象的かつ論理的な純粋思考能力の限界に挑戦し、壁にぶち当たっては、つぎつぎとそれをブレークスルーして乗り越え、その都度、さまざまな概念や方法を発明しながら、現在にまで至っていることがわかる。まさに人間としての自分自身の能力への闘いというか挑戦だともいえる。人間が生得的に持っている思考能力で、いったいどこまで到達できるのか。それ自体は、抽象的思考であるため、実用的に役に立つことを念頭に置いたものではない。純粋な思考なのである。そしてそれは、さまざまな数学的概念や方法の発展によって、当初、人間が想像していた域をはるかに超えた驚異的なレベルにまで到達し、ついに、人間の思考能力の本当の限界点が見えてきた、というような段階に来ているのかもしれない。もちろん、その限界点ももしかしたら将来乗り越えられる壁にすぎないのかもしれないが。


たしかに、数学そのものは、日常生活に役に立つものではない。しかし、数学が壁にぶちあたりながら、それを打破して発展していくプロセスには、具体的かつ実用的な技術の発明があったことを無視できない。例えば、火薬が発明されると、実用的な観点から、どうすれば大砲を遠くまで飛ばせるのかを必死に考えるようになる。羅針盤が発明され、航海で星の動きを利用するようになると、安全な航海を実現するために、その星の動きの規則性を解明しようと必死になる。


このように、生活をよりよくするために、あるいは権力を掌握して利益を得るために、実用的なものを発展させようとする人々の熱意が、限界と思われる域に達してしまった数学をなんとかさらに発展させようとする強いモチベーションにつながり、実際に、それを乗り越えることができてきたのだといえよう。つまり数学は、実用的・具体的な目的によって鍛えられつつ、そこで得られた技術によって、実用性、具体性を離れた抽象的な思考世界への挑戦を続けてきたのである。


志賀(2009)による解説によれば、幾何学は2000年以上も前にギリシアで生まれたが、それ以降、円周率やピタゴラスの定理などの発見により、数の神秘性に注目が集まり、神や宇宙の根本原理と結び付けられて考えられてきた。その後、中世から近代においては、ルネサンスの4大発明などを契機に、実用的な視点から、力学、天文学などが発達し、それに使うための数学が発展した。それにより、天文学においてはコペルニクス的転回が起こり、機械的時計なども出現した。さらに、ニュートン力学および絶対的時間の概念の出現とともに、微積分が発明され、ライプニッツも、モナド存在論の視点から独立に微積分を発明した。数学が社会に開かれた存在になっていくと、オイラーなどの天才達が、無限概念など再び数の神秘的な世界に挑み、多くの驚くべき発見を成し遂げた。また、関数・変数概念が生まれ、微積分を統一し、解析学が生まれた。無限概念の導入により、数学に底知れない深みと広がりをもたらし、抽象的な学問体系となっていった。


志賀浩二 2009「数学が歩いてきた道」(PHPサイエンス・ワールド新書)