退屈な時間を創り出し、愉しむ

私たち人間はわざわざ目標などを持たなくても、生まれてきたこと自体に意味がある。私たちは「人生を享受する」ために生まれてきた。あえて人生の目標をいうなら「生きること、それ自体が人間として全力をあげて取り組むべき人生の目標」なのだと思う(川北 2004:21)。

子供の頃、何もなくても遊びに熱中し、それなりに楽しかったはず。人間はホモルーデンス(遊ぶ人)なのだ。その気になればサラリーマンだって、立派にラテン型で生きられる(p24)。

退屈ぐらい貴重な時間はない。なぜなら退屈なときほど、人が自由でいられるときはないからである。・・・私たちが心身共に、まったく自由になれるのは「退屈だなあ」と感じたときだ。時間をすべて自分のものにできるのはこの瞬間だからだ。・・・人間は「退屈な時間」を経験しなければ、本当の時間の価値も決して理解できない。時間を真に充実させるためにも、退屈を味わうことは必要不可欠なのである。
・・・大人に比べると子供は生活スタイルも簡素で、社会的責任や義務を負ってないから、毎日ほとんど退屈している。退屈しているから、いろいろ考え工夫をする。だから子供は成長することができる(p38-40)。

日本にはこういう川柳がある。「世の中に寝るほど楽はなかりけり。浮世の馬鹿は起きて働く」(p66)。

面倒くさがり屋のほうが、てきぱき仕事をこなすようだ。早く遊びたいとか、面倒なことは「ごめんだ」と思っているから、避けられない仕事は事務的にさっさと片付けてしまおうとするからだ。
・・・「これをいついつまでにやって、次はこの仕事」と思うより、「これとこれを片付けてのんびりしよう」と思うほうが動機づけとしては、はるかに強力なのである(p103)。