退屈・暇な時間を十分に味わう

「退屈こそ人生最大の楽しみ」で「人生最高のぜいたく」という考え方や、「退屈なときほど、人が自由でいられるときはない(すべてが自分にとって自由な時間)」「ヒマは大切な人間の本質」という考え方があるように、退屈な時間というのは、人生にとって貴重な時間である。
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しかし、現代人は忙しい。そして普段、忙しい生活をしていると、思いがけなく暇な時間、退屈な時間ができたときに焦ってしまう。時間を浪費しているのではないかという罪悪感に悩み、あれこれと活動しなければいけないという強迫観念に陥ることもある。これは、普段の忙しい生活に慣れてしまって、退屈とか暇がいかに贅沢なことであるのかを忘れてしまっている状態である。そうであれば、せっかくの贅沢な時間を無駄にしてしまうことにすらなってしまう。


これは、目の前に美味しい料理がありながら、仕事のことばかり考えて食事を口に運んでいるためにせっかくの美味しさを味わうことができていないのと同じである。美味しい料理は、ぜいたくに時間をかけて、十分に堪能し、味わうべきなのである。退屈な時間も同じだ。あれこれすることなく、ぼうっともの思いにふけってみたり、ほんとうに何もせずに過ごしてみたり、その時間を十分に味わおう。なんて贅沢なのだとありがたい気持ちで、与えられた時間そのものを楽しもうではないか。


小泉(2004)は、あえて「何もしない時間」を作ることの効用を説く。時間を無駄にしたくないあまりにせかせかと行うことは、実は、出世欲や名誉欲などの煩悩からくる雑事にすぎないかもしれないのだ。そんな雑事に束縛されるよりはむしろ、心の安楽をもとめ、兼好法師のように、徒然なるままに、日暮らし・・・の境地を堪能する。これは決して、人生という貴重な時間を無駄にしていることではない。むしろ、人生にとってもっとも貴重な時間なのかもしれないのである。


客観的に退屈な時間があるとした場合、それを浪費時間にしてしまうのか、人生にとってもっとも貴重な時間にするのかは、本人の心の持ち方、時間のとらえ方次第だということである。