しぶとく生きるキャリア論

日本を取り囲む環境はますます厳しくなっている。世界的に見ても、変化の著しい時代である。このような時代にあって必要となるのが、「しぶとい」ということである。しぶといとは、少々のことではへこたれない。叩かれても這い上がる。沈んでも浮かび上がってくる、そういった「しぶとさ」である。やっつけてもやっつけても決して息の根を止めない、頑強な生命力とでもいえようか。


つまり、これからのキャリアに必要なのは、しぶとく生きるためのキャリア戦略である。エレガントである必要はまったくない。派手である必要もない。むしろ地味であっても決して食いっぱぐれない技を見につけるということである。なぜならば、これからの時代、安定ということは幻想となるからである。いくら高収入の職についても、いずれその職を追われるかもしれないし、業界自体が急激に斜陽化する可能性すらある。一寸先は闇のような状態であっても、しぶとく生きぬくことができる人が勝つ時代になってくる。


しぶとく生きるキャリア術を見につけるのによい方法の1つが、中国の古典を読むことである。戦国時代の兵法や、三国志などは、しぶとく生きるための参考になる。例えば三国志などの登場人物はみな、みっともない大敗を喫してもどこかに落ちていっても、生きている限りいずれまた這い上がってくる。負けて退散し姿をくらましては、そこで力をためつつ、次なるチャンスを虎視眈々と狙っているのである。英雄であっても撤退が多い。ダメだと思ったらすぐに撤退しているのである。失敗などなんてことはない。それくらいのしぶとさが必要である。


兵法や古典のよいところは、泥臭いことである。決してスマートな戦略などではない。勝つためには、外交手段と謀略を駆使して、戦わず勝つ方法を考えよというように、歴史上の経験からつくられただけあって実戦的である。あいてをだましてでも勝たねばならぬときは勝つといった潔さもある。いくら強い力を蓄えて大将を繰り返しても、最終的に負けたらおしまい。むしろ、負け戦を重ねながらも命だけは落とさず、辛酸を舐めつつも我慢するときはとことん我慢し、しぶとく次の機会を狙い、チャンスあらば一気に攻め立てる、そんなタフさとしぶとさが必要なのである。


参考:キャリア論の本質
http://d.hatena.ne.jp/sekiguchizemi/20060530
http://d.hatena.ne.jp/sekiguchizemi/20060607