30歳成人説


大久保幸夫氏(参考文献)は、「30歳成人説」をとなえている。たしかに、これはうなずけるので少し考察しよう。


いわゆる一般的に言われている20歳成人という考え方は、現在よりも平均寿命が短い時代、そして生物学的な観点から見ているものである。たしかに、身体の発達という意味では、20歳以降はそんなに大きくならないから「小人」ではなく、「大人(大きい人)」ではある。しかし、いまのように、平均寿命が伸びている時代では、そして社会的な風潮を考えると、精神的な視点から成人を定義したようがよいように思える。そこで考えられるのが、30歳で成人という考え方だ。あるいは、20歳というのは体つきは大きな人の仲間入りをしていても、精神年齢はとっても幼く、「こども」である、30歳になって、はじめて精神年齢としては「オトナ」に達するということである。精神的に円熟して「大人しく(キレなく、暴れなく)なる」。


大久保氏によれば、子供の期間を、最初の15年間と、後半の15年間にわけている。この説に沿って考察すると、生まれてから15歳までの子供は、家庭教育および義務教育によって、人生の基礎を勉強する時期であると言える。そして、16歳から29歳の子供は、高等教育および企業内教育(社会教育)によって、オトナになるための応用を学ぶということであろう。大学を卒業しても、まだ一人前に飯を食っていけるわけではなく、20歳〜30歳くらいまでは子供としての教育期間なのである。とりわけ、20代というのは、親もまだ元気な場合が多いので、親からの援助も受け、精神的にも発達の途中である。そして、30歳になるとオトナになり、仕事も一人前にこなせるようになり、精神的にも経済的にも自立できるようになるのである。


昔は、大学にいくということは特別な事情がある場合(家庭が裕福だったり、早熟で学業に優れていたり、並々ならぬ志をもっていたり)で、多くの人が中学や高校を出て社会に出た。だから社会教育が始まる時期が早かった。しかし、現代の世界は、非常に多くの子供が大学を出てはじめて社会教育を受ける。その時点ですでに20歳を過ぎているのである。