非線形性としてのサービス&ホスピタリティ

サービスやホスピタリティには、モノ的世界観に基づくものと、コト的世界観に基づくものがあると考えられる。モノ的世界観は工業化との繋がりが強い。工業化が世界経済を飛躍させ人々の生活を豊かにしたことは紛れもない事実であり、モノとしての製品を大量生産して消費者に届け、消費者がそれを購入して消費するという工業の発想をサービスに拡張したものが、モノ的世界観によるサービスである。であるから、モノ的世界観によるサービスは、モノを作って配達するかのようにサービスを生産して顧客に届けるという発想が伴う。生産と消費が同時に行われるというサービスの特徴はあるが、消費者がモノとしての製品に求めるように、全てのサービスにおいて、同一で安定した品質を提供しようとするものである。非製造業は全てサービス業であると理解するならば、工業化時代の産物として、このような発想に基づくサービスが世の中に多いことは理解できる。


例えば、製品としてのスマートフォンや自動車が、同じ品番あれば全て同じスペック、同じ機能、同じ品質であることが求められるように、モノ的世界観に基づくサービスは、いつ、どこで、誰から(何を通じて)それを受け取っても、期待通り、設計通りの同じ内容を伴ったサービスであることが重要である。つまり、あらかじめ設計されたサービスを設計通りに生み出して顧客に提供するということである。一方、コト的世界観に基づくサービスやホスピタリティはそれとは根本的に発想が異なる。すなわち、サービスやホスピタリティは「モノ」ではなく「出来事(コト)」である。ある特定の場所・時間、特定の関係性において一回きり生じる、唯一無二の「体験」「出来事」だと捉えるのである。


モノ的世界観に基づくサービスでは「線形性」が基本となるのに対して、コト的世界観に基づくサービスやホスピタリティでは「非線形性」が基本となると考えられる。まず、線形性という特徴は、機械的で工業化時代に適したコンセプトである。世界や組織、製品、製造プロセスなどを整然と理解することを可能とする。例えば、製造能力を2倍にすれば、生産量が2倍になる、労働時間を2倍に増やせば、アウトプットが2倍になるという塩梅である。線形性に基づいたマネジメントは、同じ品質、形体の製品を、欠陥なく正確に大量生産するといったものに適している。Xを1単位増やすと、Yがどれだけ増減するかといった関係が分かりやすいので、製造プロセスや労働プロセスをコントロールすることでアウトプットをコントロールするという発想につながってきた。要するに、マネジメント=コントロールという発想につながっているのが、機械論的な世界観と、それを支える線形性というわけである。


したがって、モノ的世界観に基づくサービスにおいては、線形性の発想を生かすことで、いかにして均質かつ高品質なサービスを安定的に顧客に提供するための仕組みを構築し、サービスの品質をコントロールするかがマネジメント上の大きなポイントとなる。別の言い方をすれば、提供されるべきサービスは、それを扱う従業員の個性や個人差などに左右されてはいけない。誰が扱っても同じ内容のサービスであるべきなのであって、顧客からもそれが求められているのである。そう考えるならば、この種類のサービスは、人間によるサービスから、デジタル化されたメディアや端末、AI、機械、そしてロボットなどを通じたサービスに置き換わっていく可能性もあることが理解できるだろう。これらは人間よりも線形的な発想でコントロールしやすい対象だからである。


一方、コト的な世界観に基づくサービスやホスピタリティの本質は非線形性にあると考えられる。非線形性の場合は、線形性と異なりその振る舞いの予測が難しく、カオス理論のように創発現象も見られる。数学的には決定論的である決定論的カオスであっても、人間には理解し難い姿が次々と生み出される。人工物や工業製品の世界と異なり、自然現象や生命は線形でなく非線形の世界である。直線ではなく渦巻き模様に代表される。気象や台風のように、全く同じものは1つとして現れない。全て異なるが、類似したパターンは見られる。


非線形性がもつ性質は、出来事(コト)であるが故に、1つ1つが唯一無二で全て異なるというサービスやホスピタリティの特徴と対応している。異なっていても、そこにはある種のパターンが見られるので、そのパターンによって、「○○らしいサービス」という特定が可能であるわけである。例えば、スターバックスの店員によるサービスは、顧客によって、店員によって、状況によって異なるだろうが、それらに何となくスターバックスらしさを感じるとするならば、それこそが、非線形性な振る舞いにおいて創発する何らかのパターンがあることを示している。


コト的世界観に基づくサービスやホスピタリティがもつ非線形的な特徴を、どう解釈してサービス&ホスピタリティ・マネジメントに活かしていけばよいのだろうか。まず、人間にとって予測不能ということは、コントロール不能であることを意味するから、マネジメント=コントロールという発想をいったん捨てなければならないだろう。誰に対してもいつでもどこでも全く同じサービスやホスピタリティが提供されるということがあり得ないということは、ものづくりのように均質なサービスを厳密な管理を通じて作ることはできないということであるから、工業製品であれば致命的な問題ではある。しかし、コト的世界観にたてば、モノではなく無形の価値を生み出すサービスやホスピタリティでは、全てのサービスが均質で同じである必要はない。


そもそも無形のものに均質とか同じという概念が成り立つのかという哲学的な問いも立てられよう。おそらく、サービスを提供する側も、サービスを受ける側も、モノ的世界観でそのサービスを理解していれば、そのサービスは名実ともにモノ的世界観のサービスとなる。この場合は、顧客は、均質的で同じサービスが存在すると信じているから、どのようなサービスを受けるのかが事前に予測できるし、かつ予測どおりのサービスを受け取ることで満足度が最大化する。そこに予想外の驚きはないが、モノ的世界観であればそれでよい。iPhoneをお店で購入してみたら、自分が予想していた製品とは全然違っていて驚いたということが生じたら、モノの世界では欠陥とか失敗ということになるのである。


一方、サービスを提供する側も受ける側もコト的世界観でそのサービスを理解していれば、1人ひとりに対するサービスは異なっていて当たり前という発想になる。非線形的なカオスのモデルや数式から新たな現象が創発するように、安定していない、1つ1つが異なる、何かが創発するといった現象は、欠陥ではなく、むしろ、サービス&ホスピタリティにおける「創造性」の源泉だと考えられる。つまり、「伝説のサービス」「真実の瞬間」はそこから生まれるのだと思われるのである。これが、工業製品を模したモノ的世界観に基づくサービスとは異なるところである。製造される工業製品であれば、求められるのは全て同じ内容だから、伝説の1品が突然生まれるということはない。モノ的世界観が機械論的である一方で、コト的世界観に基づいたサービス&ホスピタリティはより人間的であり、自然や生命に近く、その本質は非線形性であると考えられるのである。


この非線形性を対人的な接客場面を例として用いて説明すると、人間同士の相互作用の中では、自分が誰かにやったことが何らかの形で跳ね返ってきて、それがさらに相手に対する振る舞いに影響するといったようなフィードバックループが生じる。さらに複数のアクターがそのプロセスに関わってくると、もはや線形性では説明できない現象となり、非線形性の特徴、例えば、カオスや複雑適応系が持つ特徴を生み出す。これは、自然現象や生命現象においても、さまざまな要素の相互作用によって非線形的な特徴が観察されるのと同様である。


この非線形性で重要なのが、全くのランダムな混沌状態ではなく、かといって線形性が想定するような整然とした秩序が存在するわけでもないという点である。強いて言えば、ランダムな混沌と整然とした秩序の中間のような振る舞いであって、その原因の1つが、各要素がある程度自律性を持って動きつつも、他の要素と相互作用を行なっているという点にある。例えば、顧客から見れば、どのようなサービスを受けるのかは大まかには予測できるが、実際に受けてみて、良い意味で期待を裏切られる(素晴らしい)おもてなしをされるということが起こり得る。サービスを提供する側から見ても、基本的にはお客様に対して提供するサービスの内容は決まっているとしても、実際にお客様と会ってみてから、アドリブで変える部分もある。それはどのようなお客様なのかによるし、その場になってみないと分からない面がある。


以上から、サービスやホスピタリティを機械的ではなく人間的な営みであると捉え、サービスやホスピタリティを提供する従業員とそれを受ける顧客との相互作用がサービスのクオリティを決定づけるのだと考えるのであれば、さらに言えば、サービスの提供者と受け手の両者を含むひとつの「場」としてそこに立ち現れてくる何かをサービスとして捉えるのであれば、非線形性こそがその本質であり、非線形性について深く理解することが、感動を呼ぶサービスや伝説のサービスを生み出すメカニズムを理解することにつながるであろう。