社会システムの全域化がもたらすヒューマニズムの危機

宮台・野田(2022)は、現代の社会が「安全・快適・便利」を追求してきた結果として、「汎システム化=社会システムの全域化」が進行しており、それが、伝統的な「生活世界」を侵食しているが故に、私たちは多くのものを失いつつあると論じる。そして日本をはじめとする世界各国で「社会の底が抜けた状態」が進んでいるという。それはどういうことかというと、現代社会において、「安全・快適・便利」を追求する人々の合理的な判断と行動が集積した帰結として、孤独死や人間関係の希薄化、感情の劣化などに示されるように、私たちの人間性の喪失すなわち「ヒューマニズムの危機」が訪れているということである。

 

宮台・野田の主張が理論的に依拠しているのは、社会学における社会システム理論である。社会システム理論は、ウェーバーの枠組みを出発点としてパーソンズらによって打ち立てられ、その後ハーバーマスの展開を経てルーマンによって高度な理論枠組みに彫琢されたものであり、社会システム理論によって社会変容のメカニズムやプロセスを理解することが可能になるという。宮台・野田は、ハーバーマスルーマンによって提唱された「生活世界」と「システム世界」を対立概念と捉える。

 

宮台・野田によれば、生活世界とは「地元商店街的」なもので、関わる人々は顔見知りであってそこでのコミュニケーションは顕名的・人格的・履歴的であり、共同体意識・仲間意識を基本とする慣習やしきたりを重視する。一方、システム世界は「コンビニ的」なものであって、関わる人々やコミュニケーションは匿名的・没人格的・単発的であり、慣習やしきたりではなくマニュアルに従って役割を演じることが重視される。生活世界では人間関係が全体的・包括的であって善意と内発性に従って行動するのに対し、システム世界では人間関係は部分的・機能的なものであって損得勘定だけで行動する。

 

では、宮台・野田が主張する、社会の汎システム化=社会システムの全域化とはどのようなもので、なぜ起こっているのだろうか。まず、私たちの社会の「安全・快適・便利」が高まってきたのは、市場経済という社会システムが発達し世界に普及したという要因によることが大きいことを理解しておく必要がある。そして、市場という仕組みに支えらえれるシステムが世界に普及することによってもたらされるのは「過剰流動性」と「入れ替え可能性」である。例えば、市場では価格という統一基準が定まればさまざまなものが価格を基準に交換可能となるから、モノや人の流動性が高まるのである。また、価格が唯一の交換基準となるから、取り替え可能性も高まるのである。

 

市場経済を中心とする社会システム化が進行することで「安全・快適・便利」の度合いが高まっていく。そしてさらに社会の「安全・快適・便利」の度合いを高めようとするのは人間の合理的な判断・行動であって、その結果、システム社会の全域化が進展する。このような社会システムの普及・汎化もしくは全域化は、一見するとそれは私たちの暮らしを豊かにしているように思う。しかしそれは同時に、私たちがそのようなシステムへの依存度を高めていることを意味している。たとえ最初は、自律的に社会システムを「利用」しているに過ぎないとしても、次第にそれが、システムなしでは暮らせない状態に発展し、システムに依存するようになる。そして人々は次第にシステムの一部と化し、システムの奴隷になってしまうことを宮台・野田は示唆する。

 

このように、汎システム化の進行によって、社会と人間関係が本質的に変容している。生活世界が色濃く残る社会では地域共同体のかけがえのない一員であったはずの自分が、いつの間にかシステムが生み出す過剰流動性の中で、取り替え可能な部品になってしまったような感覚に襲われると野田はいう。「安定・快適・便利」を求める私たちの合理的な判断と行動の積み重ねが、人間同士の関係性を根本的に変化させ、私たちの精神的安定性を失わせているのである。短期的な便益を享受するために意図的にシステムに依存する自律的な行為が、気がつけばシステムなしには生きられない他律的依存に頽落しているのだ。

 

宮台・野田によれば、テクノロジーの進展は、世界レベルにおける社会システムの全域化に拍車をかけている。人々が、「安全・快適・便利」に対する強い欲求を持っている以上、この流れを止めるのは困難だという。社会システムの全域化によって生活世界の空洞やそれに伴う人間の感情の劣化も避けられない。感情が劣化し、システムの奴隷に成り下がることは、人間でありながら人間らしさや主体性を失い、単に快・不快といった動物的な性質に従って行動するようになる。そしてそれをテクノロジーやAIが巧みに利用することで人間を統治するようになるだろう。これはすなわちテクノロジーが神格化する一方で人間が動物化していくことを意味していると宮台・野田は警鐘を鳴らす。

 

では私たちはどうすれば良いのだろうか。宮台・野田は、構造的な問題の解決は容易ではないことを認めつつも、漸進的な変化による現実的な処方箋を重視する社会学の立場に立つ。そして、私たちがシステム世界やテクノロジーと共存しつつも、共同体自治を基本とする中間集団の充実を軸に、人間同士のつながり、人間らしさ、生活世界を取り戻すための幾つかの処方箋を提案している。

文献

宮台真司・野田智義 2022「経営リーダーのための社会システム論 構造的問題と僕らの未来 (至善館講義シリーズ)」光文社