地政学の考え方

地政学とは何か。佐藤(2016)は、「われわれの記録に残る人類の歴史がはじまってから、これで千年になる。が、この間に、地球上の重要な地形はほとんど変化していない」というマッキンダーの一文を紹介しつつ、時間を経ても変化しにくい地理的要因を基本に、政治、経済、軍事、文化などの諸要因を加味して情勢を分析するのが地政学的な見方だと説明する。学問形態としては、二十世紀初めにあらわれた政治学、あるいは国家学であり、地理的諸条件から国家や民族の特質を説明しようとする学問である。マクロの視点あるいは大所高所から国家間の関係を捉える場合が多いという。その他、国家が膨張政策をとるときの正当性を説明したり、他国の脅威から自国を守るための安全保障政策を合理化するためにも使われるという。


イデオロギーが人間を強く突き動かしているときは、地政学的要因は後景に退くが、地政学要因が消え去ってしまうことはないと佐藤はいう。イデオロギーが弱まってくると、後景に退いていた地政学的要因が可視化され始めるのだという。およそ人間の営みならばどのようなものでも地政学と関係するため、佐藤は、地政学的に考えようと意識することはなくても、いったん様々な要素を「土地と人」に背負わせ、それらの要素を取捨選択して見取り図を頭に描いていくという。例えば、国家の行動を考えてみると、国家の振る舞いは地理的条件に制約され、それはイデオロギーに先行する。つまり、地理的諸条件にもとづいて導かれた選択肢の中から、国家は最も利益にかなう行動を選ぶことになるのだという。


ただ佐藤は、地政学の基本になる地理的な制約条件すなわちリアルな空間と時間だけでは、現代の国際社会を捉えきることができないと主張する。つまり、もう1つのリアルともいうべき電子情報空間も地理的にリアルな時空間に擬制されると捉えるべきだというのである。過去の米ソを頂点とした二極的な世界秩序から、グローバル化の進展によって多中心的な世界秩序へと移行する中で、電子情報空間は多中心的な世界秩序を構成する「中心」のひとつであるという。これを生み出したのがインターネットである。カネも情報もインターネット上で瞬時に移動するようになり、国際社会の情報格差と税制度上の落差を地用して多国籍企業が国への納税額を減らし、利益を自分たちの資産として留保できるようになったと佐藤は指摘する。つまり、インターネットが世界の隅々を覆い、高速化したことで、人々は領土も海洋もやすやすと越えられるようになり、国家が持つランドパワーもシーパワーも及ばないところで富と情報の移動が行われているというのである。


佐藤は、上記で指摘した二極的な国際社会の枠組みの終焉を受けたグローバル化が加速するにしたがって、逆説的にも国民国家が分裂する動きが活発になっていると指摘する。そしてその起動装置がナショナリズムだという。グローバリゼーションといった普遍化現象が、世界を一つの家に変え、世界市民の誕生を促すものに思えるかもしれないが、実際はそうでないところに、非常に複雑な思考が要求されている現代の特徴を見て取ることができる。東西冷戦の時代には2つの大きな物差しがあって、互いが互いを測ることで大きさをとりあえず認識できたが、現代では世界中にいくつもの小さな物差しがあることに気づくことから始めなければならないと佐藤は説く。地理的な制約を超えて瞬時に情報や富が移動する世界では、あらかじめ立てていた式に思いもよらない変数を加えなければならないこともあるし、逆に式から変数が消えることがあると佐藤はいう。


これらを踏まえ、佐藤は、政治、経済、軍事、地理といった地政学の基本に加え、宗教、思想、社会心理学、IT、国家以外の組織(多国籍企業や影響力のあるNGO)の動向分析なども動員した学際的な思考に基づき、いくつものシナリオを用意して、事態の展開に応じて修正、選択していくのが、現代の地政学的思考ではないだろうかと述べる。複雑かつ不確実性の高い現代社会においては、複数のシナリオを用意しておけばリスクを回避できる可能性が高くなるし、複数のシナリオを想定することは物事を相対的に考えることになるから、自己中心的な思考の罠から逃れ、相手の立場にたって考えることができるともいうのである。