利子率革命と反利子率革命で紐解く世界経済

水野(2011)は、20世紀後半から21世紀にかけての世界経済の趨勢を「利子率革命」と「反利子率革命」で説明しようとする。20世紀の利子率革命とは、1974年のピークを境に先進国の資本利潤率およびそれと同等と考えられる国債利回り(工場の耐用年数10年で利益の極大化を図る実物投資の利回りは10年もの長期国債利回りと同じになる)が低下に転じ、その傾向が現在まで続いていることを指す。利子率革命が意味するのは、特定の空間における経済の成長・膨張がストップしたために資本の実物投資の利潤率が低下し、資本の拡大再生産ができなくなってしまったということである。1974年あたりでいえば、そこで「地理的・物的空間」の膨張が止まったということである。


そもそも、利子率革命以前に先進国が豊かになれたのは、先進国と途上国の間の経済交換が不等価交換であったからであると水野は説明する。例えば、先進国は、有利な交易条件によって安く資源やエネルギーを手に入れることができたために、それを与件としてモノをつくって売ることで利潤を獲得できたわけである。もっと端的にいえば、交易条件を改善できた国だけが先進国になれたのであり、途上国の交易条件は100年以上にわたって悪化し続けてきたといえる。そして、資本主義が依って立つ原理とは、安い移動コスト、エネルギーコストを与件として「もっと遠く」へ行くことによって利潤を極大化することであるから、成長・膨張がストップするまで資本は投資を続けることになる。


1974年に始まった「利子率革命」で、先進国の企業が「実物投資空間」に投資をしても儲からないようになった結果起こったのが、反「利子率革命」である。これは、利子率革命に反抗するために「新たな空間」を創造することによって「成長がすべてを解決する時代」である「近代」を延命させようとする動きである。代表的なのが、グローバリズムの推進による「実物投資空間」と「電子・金融空間」の創造である。具体的には、貿易の自由化を推し進め、「新興国市場」という「陸の空間」を組み込んでいったこと。もう1つは、米国が中心となって「電子・金融空間」を創造したことである。つまり、グローバリズムとは、英米の「電子・金融空間」、そして同時に新興国における「実物投資空間」で、資本が利潤を極大化するするためのイデオロギーであったのだと水野は指摘するのである。


しかし、グローバリズムは海の国である英米に対する「陸の国々」である新興国・資源国の台頭を招いたため、資源を有する新興国が成長するために自国の貴重な財産である資源を高く売ろうとする「資源ナショナリズム」を引き起こし、先進国側の利潤率を悪化させる要因となった。いっぽう、米国では、電子・金融技術でバーチャル空間をつくり、金融の自由化を推し進め、レバレッジを高めることで「電子・金融空間」を膨張させた。その結果、ウォール街の投資家が、規制が十二分に緩和されて高レバレッジで動き回れるグローバルな電子・金融空間で利潤を極大化していた。つまり、新興国の「陸の帝国化」と米国の「金融帝国化」が進み、これらの争いの様相を示してきたわけである。


反「利子率革命」によるグローバリズムの進展は、先進国の利潤率が趨勢的に低下する中でも、資本が国境を越えて新たな利潤機会を探しだすことを可能とした。しかし、新自由主義の台頭もあって1995年に資本が国境を越えるようになると、17世紀の市民革命以来、資本と国家(国民)の利害が一致していた資本主義が終演し、グローバル資本主義、すなわち資本が国家(国民)に超越する資本主義が台頭したのだと水野は指摘する。その1つの例が、資源価格の高騰などによって利潤率が低下する中で株主価値を高めるために、企業が人件費を変動費化する動きである。米国はもともとレイオフという手段で人件費を弾力的に削減してきた。日本でも90年半ば以降、派遣労働など非正規雇用の増大により、人件費の変動費化が促進されたわけである。


また、低金利化で実物投資の利潤がゼロに近づく中での「電子・金融空間」の活動は、資産価格の上昇に依存するものになるため「バブルの空間」となるのも必至であったと水野はいう。新自由主義の自由とは、国民の利益を奪い取るという意味で「資本家の自由」であったのであり、バブル膨張を阻止する意図をもたない政策のなかで、欧米の投資家は、自由な「電子・金融空間」を縦横無尽に暴れまわることができたのだと水野は論じるのである。