虚構を信じる力が人類社会の発展を可能にした

なぜ私たち人類はこの世の中にこれほどまでに高度に発達した社会システムを地球上に作り上げることができたのであろうか。これに関して、ハラリ(2018)は、私たち人類の祖先は数十人からなる小さな生活集団で何百万年も進化してきたので、大規模な協力のための生物学的本能には欠けているという。ハラリによれば、人類発展のカギを担うのが、7万年〜3万年まえに生じたと思われる認知革命である。これは遺伝子の突然変異によって、新しい思考方法、新しい意思疎通の方法が生まれたことを意味する。その結果として言語とともに人類が獲得した決定的に重要な能力が、虚構、すなわち架空の事物について語る能力である。虚構のおかげで、人類は単に物事を想像するだけでなく、集団でそれができるようになり、多くの見知らぬ人同士が協力する社会システムの構築が可能になったのである。


大規模な共同社会を作るためには、秩序が必要である。人間の生物学的基礎が可能にする秩序は、せいぜい数十人単位の小さな集団レベルである。人間以外の生物は、物理的存在のみに行動が規定され、物理的存在に対する行動の反応は、DNAが変化しないかぎり変化しない。つまり、物理的存在および生物学的基礎を超える何かがないと、今の人類の生物学的基礎だけでは、数百人、数千人、数万人といった規模の人々が協力するような秩序は生み出せないはずである。しかし、人々の間に「虚構」「神話」が生みだされ、人々がそれらを信じるようになったことで大規模な秩序が生まれたのである。実際、複雑な人間社会には想像上のヒエラルキーと不正な差別が必要であり、たいていの社会政治的ヒエラルキーは、論理的基盤や生物学的基盤を欠いており、偶然の出来事を神話で支えて永続させたものにほかならないとハラリはいうのである。


ハラリによれば、虚構の正体は、共同主観性である。近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根差している。国家における共通の国民神話、司法制度を基礎づける共通の法律神話、法と正義と人権。これらのうち、人々が創作して語り合う「物語」の外に存在しているものは1つとしてないのである。宇宙には神は1人もおらず、人類の共通の想像の中以外には、国民も、お金も、人権も、法律も、正義も存在しない。すべてが虚構なのであり、これらが人間社会の秩序を生み出し、人間社会を変化させる力の正体なのである。共同主観的なものは多くの個人の主観的意識を結ぶコミュニケーション・ネットワークの中に存在するので、たとえ1個人が信念を変えたり死んだりしてもほとんど影響がない。共同主観性による想像上の現実は、嘘とは違い、誰もがその存在を信じているもので、その共有信念が存続するかぎり、その想像上の現実は人間社会の中で力を振るい続ける。


これらの虚構の中で、とりわけ人類による世界の統一に向かう普遍的な秩序の構築に貢献したものが3つあるとハラリはいう。1つ目は、貨幣による秩序で、経済的な秩序である。2つ目は、政治的なもので、帝国という秩序である。3つ目は、普遍的宗教の秩序である。農業革命以降、人々がこの3つの虚構を信じることにより、人間社会が大きく発展した。そして、500年ほど前には科学革命が起こり、近代科学がスタートした。宗教という虚構の代替という役割を担うことになる科学の革命で生まれたのが、「未来は現在より豊かになる」という進歩の思想である。そしてこの「進歩の思想」という虚構に支えらえた科学が、帝国主義と資本主義と結びつき、3つの間に生じたフィードバックループのおかげで、ヨーロッパを中心とする文明が爆発的な進歩を遂げ、ヨーロッパが世界の覇権を握るまでになった。


とりわけ「探検と征服」の精神構造と、それを支える価値観や神話、司法の組織、社会政治体制といった「虚構」がヨーロッパで生まれたがために、ヨーロッパ主導の文明・経済の爆発的発展が起こったのである。具体的には、資本主義のもとで人々が「将来は富の総量が増える」と信じることで、政治と経済の機関が科学研究に資源を提供し、その結果として得られた科学的発見による新しい力で政治と経済の機関が新しい資源を獲得し、その1部が再び科学研究に投資されるというサイクルが繰り返された。このような投資サイクルが劇的な経済発展につながり、無尽蔵ともいえるエネルギーと原材料が手に入るようになり、物質的に豊かな社会が実現したのである。このように、科学と帝国と資本の間のフィードバックループが、過去500年にわたって近現代の人類の歴史を動かす最大のエンジンだったのである。