「近代」はいかに生み出されたのか

佐伯(2014)は、ヨーロッパにおいて近代という社会がどのように始まったのかについて、通念では「古代社会の次に中世・封建社会が到来し、その中からやがて人間中心主義や合理主義、自由や平等の思想が生まれ、それらが中世・封建社会を打ち壊して近代社会を切り開いた」ということになるが、この理解は適切ではないと指摘する。つまり、ヨーロッパの中世世界は、新しい合理的な認識とか、自由や民主主義を求める運動によって崩壊させられたのではないというわけである。むしろ、中世社会はその世界観がもたなくなって自壊し、歴史の危機もしくは信念体系の空白・混乱の時代が現れ、その間に、宗教的世界から世俗的世界への転換が起こっていったのだということを示唆する。


宗教的世界とは、神が主役、神が中心の世界であり、そこから、神ではなく、人間が主役となる社会秩序の編成がなされることになった。このプロセスで決定的な役割を果たしたのが、宗教改革なのであり、宗教改革が、近代的・世俗的な社会秩序を生み出してしまったのだと佐伯は指摘する。宗教改革で発生したプロテスタントは教会組織の権威を否定し、聖書主義の立場をとった。印刷技術の発明により各国の言語で聖書が普及すると、共通の言語で聖書を読める文化的・宗教的共同体が輪郭を現すようになった。これらの共同体が、ローマ教皇に批判的な領邦などの政治的権力によって保護されるようになり、「国民国家」という単位が形成されてきた。そして、百年戦争後のウェストファリア条約において、宗教的秩序から国家が自立していくという意味での「世俗的な主権国家」が登場するようになった。ここに、宗教的権威に世俗的権威が優位する「近代」が誕生したのである。つまり、宗教的権威から自立した主権国家が成立し、宗教的世界観から世俗的世界観への移行がなされたのである。


佐伯によれば、近代の誕生により、ひとつの文化や言語を共有してきたあるまとまりをもった「国民」が、ひとつの共通の政府や法をもった国家すなわち「国民国家」を形成するようになり、このような「主権国家」間の関係としての「国際関係」という考えが生まれた。


さて、中世世界が自壊した後の、信念体系の空白・混乱の時代には、ルネッサンス宗教改革など「過去への回帰」が見られたことを佐伯は指摘する。しかし、ルネッサンスは力を失い、宗教改革は教会の権威を否定することにより社会の大混乱に導いたため、社会秩序の原点としての「確かなもの」が求められるようになった。これに答えたのが「リヴァイアサン」を著したホッブズであると佐伯はいう。ホッブズは、そもそも自然状態において、人間は自分の生命を守る権利(=自然権)を持っているという前提から話を始める。しかし自然状態では、自分の生命も他者の正当な自然権の行使によって危険にさらされるため、万人が争う戦争状態に陥ると論じる。つまり、自然状態においては、人間の生命の安全が保障できない。したがって、人々は「契約によって主権国家をつくる」ことによって、人間の生命を最低限確保する原理を打ち出すと説明する。


ホッブズによれば、人々の契約によって成立した主権国家のもとでは、主権者が絶対権力者となり、人々は完全な自由を放棄する。その代わりに、主権者の定める立法によって制約され、制限された市民的自由を獲得し、人々は生命の安全を保障された形で「市民社会」を形成することができる。つまり、主権国家とは、主権者がその権力を行使する機構であり、主権者の権力は、人々の生命や財産の安全を確保し、外国からの敵対行為や戦争から社会を防衛するために行使される。そして、市民社会では人々は武装せす、生命や財産の安全を国家から保障されているので平和的な秩序を享受できる。さらに、市民法によるルールに基づいた「自由な」活動を保障される。


佐伯は、ホッブズの国家論は、ローマ教皇の絶対的権威や王権神授説の考え方を排し、ウェストファリア条約でも承認された主権国家の成立を論理的に正当化したことになったという。つまり、人々が自分たちが生きるために近代的な主権国家をつくるという、宗教的権威から自立した主権国家を成立させるための「近代国家の論理」として後世に決定的な影響力を与えたのだという。そして、重要な点は、このような宗教的世界から世俗的世界への転換が、キリスト教を否定することによって成立したのではなく、宗教改革というキリスト教の原点回帰の運動の中から発生したことにあると指摘する。