森田(2001)は、私たち自身を含めたこの世界のすべてが量子力学が扱う微小的な対象から成り立っていることを考えると、ミクロの世界の「真の姿」を理解することは、私たちが日常的に生活しているこの世界を、ひいては私たち自身を理解することにもつながるだろうと主張する。しかし、私たちが見たり触れたりする日常的な世界を記述する古典力学と異なり、量子力学は私たちが直接見たり触れたりできるないものを扱っている。そのようなミクロな世界を対象として構築された量子力学が、仮に完成されたものであって完全なものであるとするならば、古典力学の住民である私たちの常識では理解できないような不思議な解釈が登場する。森田によれば、そのような量子力学の標準的な解釈の特徴は、大きく分けて「物理量の実在の否定」「非局所相関」「状態の収縮」「粒子と波の二重性」がある。
「物理量の実在性の否定」というのは、「ミクロな物質の物理量は測定するまで明確な値をもっていない、あるいはもっているかどうかを議論することは無意味である。なぜならばミクロな世界は本質的に確率論的な世界なのであって、原理的に予測不可能であるから」ということである。言い換えるならば、「測定によって物理量は決定される」という意味である。「非局所相関」とは、ある出来事が空間的に十分に離れた別の出来事に瞬間的に影響を与えるという現象である。先の測定前の物理量の実在性を否定する立場からは、例えば2つの電子1と2のスピンについて、電子1のスピンを測定することによって瞬間的に電子2のスピンが実在することになるので、「非局所相関を認める」という解釈が生まれる。「状態の収縮」とは、量子力学では複数の状態が重なり合っている形で系の状態を記述することで完全な情報を表現するのに、測定を行うことによって重なり合いが収縮してしまう現象を指す。シュレディンガー方程式ではこのような状態の収縮を記述できないため、状態の収縮を認める立場と認めない立場がある。「粒子と波の二重性」は、光や電子などが粒子であることを支持する実験結果と、波であることを支持する実験結果と両方あるため、「光や電子は粒子でもあり波でもある」と解釈することである。それに加え、粒子と波は相いれない概念であるため、光や電子が粒子でもあって波でもあることが同時に支持される実験結果はなく、「測定していないときは波として振る舞い、測定すると粒子として振舞う」という解釈でもある。
森田によれば、量子力学においてどのような解釈をとろうとも、量子力学が実験的に確かめることができるものについては一致している。したがって、どの解釈が正しいのかを実験で確かめることはできない。また、私たちの常識から外れる解釈が出てくるのは、反対しようのない実験事実にも常識と反することがでてくるからであるという。そのような中、上記に挙げた標準的な解釈の問題点は「状態の収縮」にあると森田は指摘する。状態の収縮のメカニズムは少なくとも既存の量子力学の枠内では説明できないのみならず、状態の収縮を認めてしまうと物理量の非実在性や非局所相関も認めることになる。標準解釈のように状態の収縮を説明しようとする解釈として、既存の量子力学を少しだけ修正する「GRW理論」や、既存の量子力学の枠内で、環境との相互作用で波としての振る舞いが消えるとする「デコヒーレンス理論」があるが、両者とも状態の収縮の説明に成功したとはいえないと指摘する。
状態の収縮を仮定しない解釈としては、まず、物理量の実在性や決定論的世界観を守ろうとする「軌跡解釈」というのがある。これは「粒子でもあり波でもある」のではなく「粒子もあるし波もある」と解釈する。光の場合であれば、光の正体は粒子であるが、それが実際に存在するガイド波に導かれて動くとする。しかもその粒子は決定論的な法則に従って運動するという。軌跡解釈では、状態の収縮を認めず、物理量の実在を保証するが、非局所相関を認めざるを得ない解釈であると森田は指摘する。これに対し、量子力学の枠組みを変えることなく、状態の収縮も認めず、決定論的な世界観や物理量の実在性を守り、なおかつ非局所相関も避けようとするのが「多世界解釈」である。この解釈は、たくさんの世界があり、測定を行うごとに世界がつぎつぎと分かれていくという考え方である。多世界解釈は、状態の時間発展がシュレーディンガー方程式によってのみ決定されるという決定論であるが、この解釈でも実在性と局所性は守れないと森田は指摘する。
そのほかの解釈として森田が挙げるものとして、多世界解釈とほぼ共通しているが、世界はただひとつしかないとする「裸の解釈」「多精神解釈」「単精神解釈」があり、歴史が並行していくつも存在するという「一貫した歴史解釈」、位置を含めたすべての物理量が状況依存的であるとする「様相解釈」があるが、それぞれいくつかの問題がある。そこで最後に森田が紹介するのは「未来が現在に与える影響」を考慮する解釈である。要するに逆向き因果を想定するのだが、現在の状態が過去と未来の状態の両方から決定されると考える「交流解釈」や「時間対称化された解釈」がその例である。森田は、多世界解釈と時間対称化された解釈を組み合わせると、測定の段階では世界が複数に分かれても、最終状態で複数の世界がふたたび1つになると考えることで、状態の収縮、非局所相関、非実在性の問題が解消される可能性があると指摘する。ただし計算上マイナス1の確率が出るなどの問題があるという。