帝国とは何か

帝国とは何か。柄谷(2014)は、社会構成体を「交換様式」から見るという視点に基づき、帝国というのは多数の共同体=国家からなると同時に、それらを超える原理を持っているという。そして、その帝国の原理とは、多数の部族や国家を、服従と保護という「交換」によって統治するシステムだという。帝国の拡大は、征服によってなされるが、征服された相手を全面的に同化させたりせず、彼らが服従し貢納しさえすればそのままでよいという態度である。帝国はたんなる軍事征服によって形成されるのではなく、あるいは、暴力的な強制だけでも成り立たず、多くの国家が積極的に服従するような要素がなければならないというわけである。


柄谷の視点をもう少し詳しく見ていくと、帝国の第一の特徴として、国際法のように、帝国内の小さな部族や国家を超えた領域で通用する「万民法」の存在がある。一般に、帝国は、帝国内の交易の安全を脅かすのでないかぎり、帝国内にある部族・国家の内部に干渉しない。ただし、諸部族・国家間の交通・通商の安全を確保するための「法」を備えていたというわけである。


帝国の第二の特徴としては「世界宗教」をもっていることだと柄谷はいう。帝国は、諸部族国家を統合することによって成立するが、そのためには、それぞれの国家・共同体の宗教を超えるような普遍宗教を必要とするというわけである。例えば、モンゴル帝国は、中国では仏教を、アラビアではイスラム教を導入した。ペルシア帝国ではゾロアスター教が受入れられ、ローマ帝国ではキリスト教を国教とした。それと同時に、帝国はたとえ国教を持ったとしても、宗教的に寛容でなければならないということである。そうでなければ、多数の部族・共同体を包摂することはできないからである。


帝国の第三の特徴としては、「世界言語」の存在がある。ラテン語や漢字、アラビア文字のように、多数の部族・国家によって使用される文字言語である。帝国の中で語られる音声言語(俗語)は無数にあっても、それらは「言語」とは見なされず、今日の方言と同じ位置にあったのだと柄谷は指摘する。先に挙げた、帝国の法、宗教、哲学が世界言語であらわされる以上、帝国の本質は、その言語においてあらわれるといってよいというのである。


なお、柄谷は、「帝国主義」は、「帝国」とは異なる概念であると説明している。帝国主義は「国民国家(ネーション・ステート)が拡大して他民族・他国家を支配するようになる場合を指したものである。そもそも、帝国は多数の民族・国家を統合する原理を持っているが、国民国家にはそれはない。国民国家は、帝国の「亜周辺」にあり、集権的な国家が成立せず、王や封建諸族が乱立抗争していた西ヨーロッパで、王と都市の結託で生じた「絶対王政」が「市民革命」によって倒されてできあがったものである。これら国民国家が帝国の周辺部に入り込んで植民地化し、さらに「民族自決」のスローガンによって帝国が解体され、大小多くの国民国家が誕生することになったのである。