中国にとって「漢字」とは何か

日本人の視点から「漢字」をみると、中国において中国人が生み出した文字というように単純に考えてしまいがちである。しかし、橋爪・大澤・宮台(2013)による鼎談によれば、中国は歴史的にみても現在においても多民族国家であり、民族間ではお互いに理解できない言葉を話していたわけであるから、そもそも中国とは何なのか、中国人とは何なのかを理解するうえでも最も重要なものが漢字であるといってもよく、ある意味で、中国を定義するものが漢字であるともいえる。では、中国において漢字はいったいどのような役割を果たしてきたのだろうか。

 

まず、漢字は、人類史において他の文明とか他の文化の真似や影響なしに独自に文字を作った数少ない例である。中国のほかにこのように独自に文字を生み出したのは、エジプトとメソポタミアとマヤ以外にないと大澤はいう。また、漢字はアルファベットのような表音文字ではなく、表意文字である。これは、話し言葉を文字で表現するという過程で生まれたものではないため、普通の人が容易に習得できる文字ではないことも意味している。これは、多民族国家である中国の特徴と深く関連していることを橋爪・大澤・宮台は示唆している。

 

鼎談において橋爪は、中国が、主権国家の集合であるEUのような存在であったことを理解することが重要だと説く。つまり、春秋戦国時代の越とか楚とか秦とかは、お互いに異なる民族だと考えたほうがよいという。フランス、ドイツ、イタリアのようなものだというのである。言葉が通じない人々ばかりのときに、表音文字を使うと、各言語を表記はできるが意味は分からない。それに対して中国は、概念をかたどった絵みたいな文字を作ることで、言葉が違っても意味が分かるような文字を生み出した。そしてこの文字を、それぞれの言語の読み方で読むことにした。これが漢字であると橋爪はいうのである。

 

橋爪は以下のように説明を続ける。漢字をどう読むかは、ローカルな言語共同体が勝手に決めればよかった。そのため、異なる民族間では、話し言葉では通じなくても、漢字を使えばどちらの言語でも意味がわかるようになり、漢字による言語共同体ができあがった。ただし、絵文字としての漢字の数は概念の数だけあるわけだからとても多く、習得が極めて困難であるという特徴がある。したがって、漢字による共同体では、漢字を使える人のコミュニケーション能力はきわめて高くなり、統一政府も構成できる一方、漢字を使えるのはほんの一握りの人々に限られるため、大多数の人々は文字が読めないままになって大きな情報ギャップが生じることとなった。

 

上記のような漢字の習得の難しさが、儒教が想定している一握りの官僚/大多数の農民という構図として固定化したと橋爪はいう。漢字を習得できない農民は、お互い言葉が違うために反抗しようにも団結できないわけである。また、漢字は絵文字だから中国語の動詞には人為的で活用がない。中国語は漢字を順番に音読していくだけである。これは、漢字を使うようになった後で、元の言語が漢字に合わせて変質してしまったものではないかと橋爪は論じる。普通は言語があって、それが表音文字で表記されるが、漢字はそうではないというわけである。これはほかの文字とはちがったまったくの大発明であり、これで多くの言語集団を包摂し、漢字を使う人々と定義をしてもよいような「漢民族」ができあがったというのである。

 

漢字の別の特徴は進化しないことだと橋爪はいう。秦の始皇帝の時代に決まった漢字のほとんどが今日までそのまま使われている。世界は漢字によって意味的に分節されており、それは永遠不変だと漢字を使う人々は信じているのではないかという。漢字が変わらないということは、漢字は世界のあるべきあり方と対応している、すなわち漢字のシステムは世界の真実のあり方と深く結びついているということでもあると大澤は論じる。それに関連して宮台は、中国人の過去志向と漢字文化とが結びついており、世界は有限要素の組み合わせでできていて、有限要素自体は固定されていて変わらないという世界観を中国人は持っているのではないかと示唆する。

文献

橋爪大三郎・大澤真幸・宮台真司 (2013)「おどろきの中国」(講談社現代新書)